ワンマンライブが終わりまして、一週間ほどが過ぎました。
お越しいただいた皆様、本当にありがとうございました。
ワンマンということで、みんなが私のライブを観に来てくださっているんだなあ、と、活動休止をしていたからこそ、ザクザク心に刺さってきました。愛の針の筵です。
自分としては、自分で決めたことはひとまずやりきった感じです。
しかし、もっとこうしたいなあ、というのはたくさんたくさんある。
お店の人からのダメ出しもしっかり受け止め、
しかし絶賛してくれるお客さんやミュージシャン仲間もいて、
思ったことは
自分で思ったことを淡々とクリアしていくしかないのだ。
私の場合、以前からそうなんだけど、音楽的にはかなり未熟なのだし、
多くの人には感想を濁されイマイチ反応もないということは多く、
自分でも納得してる。
しかしなぜが定期的にとても熱く支持してくれる人があらわれる不思議。
よかったといわれる曲も、人によって全然違っていて、
人の評価というのはあてにならないなあ、と本当に思う。
結局自分で判断して、決めるしかない。
はっきりわかったことは、
「過去の作品は全部駄作、成功体験はひきずらない」
というこころもちで進むことの大切さ。
人から褒められたことや、名曲と呼ばれたものは大事にしすぎると撫で回して必要以上に美化されていくから、それよりいい曲ができにくくなってしまう。新しく出来た曲も否定したくなる。変化することを避けるようになる。過去のことはどんどん忘れて、次にこうしたい、という気持ちだけでいい。自分を評価してくれる人がいるとその期待に応えたい、という気持ちから狭くなってしまったりするけど、案外めちゃくちゃやっているつもりのことも、熱烈な支持者はすんなり受け入れてくれるものだ。
それよりも挑戦することのほうがずっと大切で、失敗してもぶつかり稽古をやめちゃいけないんだな。
続々とライブがきまってきました。
今回のこの良い流れを崩さずに、まだ出せていない伸び代部分を表に見せられるようにただひたすらすすんでゆきます。
ワンマン以降観に行ったライブがいろんな意味でとても楽しい。昨日今日も素晴らしいライブを観てビリビリしている。
不器用だし、人前に出るの向いてないなあ、というのは相変わらずだから誰になんと言われようとやりたいからやるのです、という姿勢でできるだけのことをします。
技術面は不器用なりに頑張るしかないけれど、何か気持ちの部分で伝わる、つながる部分を見つけ続けたい。
今後ともよろしくおねがいします。
主に京都で唄を歌っています。フジコです。
ライブスケジュール:2024年 3月17日(日)京都一乗寺喫茶ウッドノート「弥生ノ二頁vol.12」 4月21日(日)京都西院ネガポジ「フジコ企画」
2019年12月20日金曜日
2019年12月1日日曜日
2019年9月11日水曜日
ライブから帰ってきたところ。
どうも、おかしい。
体が、頭がおかしい。
元気だ。
健康、というよりかは、よく動く。冴えてる。
(もちろん本来のポテンシャルの範囲内で)
落ち込んでいるはずなのに。
もう「暇」なんてことを思うことは一生ないものと思ってた。
細胞が活性化しているというか、若返ってるというか
ちょっとした隙間の時間が生まれると「ちょっと暇」と思ってる。
歳をとると時間の過ぎるのが早く感じるのは、新しいことをしなくなるからだとか、感動することが少なくなるからだとか言われるけど、ちょっと違うんじゃないかな、と思う。
時間が伸び縮みする。相対性理論的な話ではないけど(突き詰めたら同じようなことだったりするかもしれないけれど)時間という物差しの中に、いかに自分を小刻みに詰め込めるかということなのではないかな。若いときは細胞の新陳代謝が活発だし、反射神経や脳の回転も速い。つまり、思うこと、動くこと一つ一つの速度が早く、1時間に詰め込める「思う」や「する」の粒が小刻みであるがゆえに結果多くのことを経験して、1時間は「たくさん」だ、という感覚になるのに対して、歳をとるとあらゆる動きが鈍くなるので1時間に詰め込めるタスクが少なくなる。しかし自分では衰えていると思っていないので、1つの作業、思考が以前と同じボリュームだと信じていて、そちらが物差しだと考えてしまうと、「たくさん詰め込める一時間」は果てしなく長い時間になる。
これはきっとチャンスだ。なんでもできる。空も飛べるかも。
ここ数日、このタイミングで急にコード理論に興味が湧いてきてYoutubeの中の先生にいろいろ教わっている。説明がうまい。なぜもっと早く出会わなかったのか!
今まで持っていなかった絵の具を手に入れて色見本を作っている気分。
理論はあくまで表現のための道具でそれに絡め取られたらダメだと思ってはいるけど、目の前に並んだ絵の具にニヤニヤしたり、そうか!スッキリ!という小さな感動がずっと続くといいな。
体が、頭がおかしい。
元気だ。
健康、というよりかは、よく動く。冴えてる。
(もちろん本来のポテンシャルの範囲内で)
落ち込んでいるはずなのに。
もう「暇」なんてことを思うことは一生ないものと思ってた。
細胞が活性化しているというか、若返ってるというか
ちょっとした隙間の時間が生まれると「ちょっと暇」と思ってる。
歳をとると時間の過ぎるのが早く感じるのは、新しいことをしなくなるからだとか、感動することが少なくなるからだとか言われるけど、ちょっと違うんじゃないかな、と思う。
時間が伸び縮みする。相対性理論的な話ではないけど(突き詰めたら同じようなことだったりするかもしれないけれど)時間という物差しの中に、いかに自分を小刻みに詰め込めるかということなのではないかな。若いときは細胞の新陳代謝が活発だし、反射神経や脳の回転も速い。つまり、思うこと、動くこと一つ一つの速度が早く、1時間に詰め込める「思う」や「する」の粒が小刻みであるがゆえに結果多くのことを経験して、1時間は「たくさん」だ、という感覚になるのに対して、歳をとるとあらゆる動きが鈍くなるので1時間に詰め込めるタスクが少なくなる。しかし自分では衰えていると思っていないので、1つの作業、思考が以前と同じボリュームだと信じていて、そちらが物差しだと考えてしまうと、「たくさん詰め込める一時間」は果てしなく長い時間になる。
これはきっとチャンスだ。なんでもできる。空も飛べるかも。
ここ数日、このタイミングで急にコード理論に興味が湧いてきてYoutubeの中の先生にいろいろ教わっている。説明がうまい。なぜもっと早く出会わなかったのか!
今まで持っていなかった絵の具を手に入れて色見本を作っている気分。
理論はあくまで表現のための道具でそれに絡め取られたらダメだと思ってはいるけど、目の前に並んだ絵の具にニヤニヤしたり、そうか!スッキリ!という小さな感動がずっと続くといいな。
2019年9月7日土曜日
夏終わり
百日紅が色褪せてしまう。
鴨川沿いの風も夕方になるとひんやりしてきて、ここ数日夏の暑さが少々戻ってきたとはいえ、やはりもう空も虫の声も人の浮かれ具合の収束も全部季節が変わったことを知らせている。
この1週間でいろんなことが起こって今それも落ち着いてきて何もかもが元に戻っていく。気温の下降とともに自分の中のほとぼりもスーッと静かになっていく。ああ、自分だ。
ただ、以前と違うことに、体調はいい。落ち込みたくても悲しみたくてもそんな感傷に浸るな、動け、と体に言われている。ご飯が食べられなくても夜長時間眠れなくても体はいたって健康だ。それはとてもしあわなことだ。(...しあわせ?)
とにかくこれが大人になったということなんだろう。自分のなかで消化しきれていない子供を抱えながらもどこか大人になっている。
昨日元職場の後輩とその子供に会った。娘ちゃんは私と誕生日、血液型、星座(当然)、干支がすべて同じ。でも全然私と似ていなくてとても人懐こいカワイイ子だ。私に似ろと暗示をかけているというので全力で止めておいた。(悪いことは言わない。)もともと私は子供と接するのは苦手だったのにとてもかわいく感じた。自分自身の中にもまだ子供はいるというのに。
今月末には2年間続けたバイトも辞めて、以前していた仕事に近いことを数ヶ月くらい続けるつもり。なんだかそれも暗示的というか、しばらくの出来事がすべて幻だったかのようだ。次に私の上司になる女性は回遊魚のようで止まったら死んでしまうのではないかというくらい常にバタバタと動いていて、刺激がないとつまらない、と本人もそれを認めている。私はあんな風になれるだろうか。いや、なるつもりもなれるわけもないけれど、私より一回り歳上の彼女は海外に彼氏を残し、結婚したくないからと渡米するのを拒み続けて結局20年以上付き合ったその人と最近別れたという話をサバサバと話してくれる。こんな風に逞しくなれたら、と思うとともに、私はこの人と同じ年齢になった頃一体どんな生活を送っているんだろう、とも。
感傷に浸るなとはいってももう私を形作っている素地の部分には虚無感みたいなものが常に含まれているので今更絶望なんかはしないけれど、この間ある人に思わず寂しいという言葉を使ってしまって自分でも驚いた。その人は常に根底にあるのは虚無感で、寂しいというのは健康的だといわれた。そういえばずっと私は虚無感に苛まれていたのにこんなこといってしまうなんて、つまり何かが「ある」からなくなった時に「さみしい」と感じるわけで。いつからか気付いた自分のなかの二重人格性みたいなものでどちらも出たり入ったりする。
虚無感に包まれている時というのはなぜもこんなに物事を冷静に見つめる眼差しが生まれるんだろう。いろんなことがとてもクリアに見える。皮肉なものだ。
さみしい時は人を求めるし、誰もいなくなったらしくしく泣いて大人しく制作を始めるなんて素晴らしいことじゃないか。きっと創作しない人はずっと次が現れるまで寂しいままなんだろう。
私は自分が一回死んだと思っているので、なんだかんだといっても小さなことでもしあわせだ。これは本当に。もともと一人なんだって覚悟してしまえば世界は美しいな、と思えるし、一つ一つが大切に思えてくる。しかし今回は初めて人に頼ってみた。これは進歩だ。すごく良かった。こんな風に冷静でいられるのはちゃんと気持ちも弱音も口に出して自分で受け止めたし、いろいろ質問されて少しずつそれにこたえることによって整理できてきたから。ひとしきり甘えて迷惑かけたのでちゃんとお礼を言ってお返しするつもり。
どんな風にしても生きていけるよ。
大丈夫。もとにもどるだけだ、私も強くなってる。
こんな独りよがりな気持ちをブログに記録して何をカッコつけてるんだ、って後から笑い飛ばしたい。
ワンマンにむけて集中します
鴨川沿いの風も夕方になるとひんやりしてきて、ここ数日夏の暑さが少々戻ってきたとはいえ、やはりもう空も虫の声も人の浮かれ具合の収束も全部季節が変わったことを知らせている。
この1週間でいろんなことが起こって今それも落ち着いてきて何もかもが元に戻っていく。気温の下降とともに自分の中のほとぼりもスーッと静かになっていく。ああ、自分だ。
ただ、以前と違うことに、体調はいい。落ち込みたくても悲しみたくてもそんな感傷に浸るな、動け、と体に言われている。ご飯が食べられなくても夜長時間眠れなくても体はいたって健康だ。それはとてもしあわなことだ。(...しあわせ?)
とにかくこれが大人になったということなんだろう。自分のなかで消化しきれていない子供を抱えながらもどこか大人になっている。
昨日元職場の後輩とその子供に会った。娘ちゃんは私と誕生日、血液型、星座(当然)、干支がすべて同じ。でも全然私と似ていなくてとても人懐こいカワイイ子だ。私に似ろと暗示をかけているというので全力で止めておいた。(悪いことは言わない。)もともと私は子供と接するのは苦手だったのにとてもかわいく感じた。自分自身の中にもまだ子供はいるというのに。
今月末には2年間続けたバイトも辞めて、以前していた仕事に近いことを数ヶ月くらい続けるつもり。なんだかそれも暗示的というか、しばらくの出来事がすべて幻だったかのようだ。次に私の上司になる女性は回遊魚のようで止まったら死んでしまうのではないかというくらい常にバタバタと動いていて、刺激がないとつまらない、と本人もそれを認めている。私はあんな風になれるだろうか。いや、なるつもりもなれるわけもないけれど、私より一回り歳上の彼女は海外に彼氏を残し、結婚したくないからと渡米するのを拒み続けて結局20年以上付き合ったその人と最近別れたという話をサバサバと話してくれる。こんな風に逞しくなれたら、と思うとともに、私はこの人と同じ年齢になった頃一体どんな生活を送っているんだろう、とも。
感傷に浸るなとはいってももう私を形作っている素地の部分には虚無感みたいなものが常に含まれているので今更絶望なんかはしないけれど、この間ある人に思わず寂しいという言葉を使ってしまって自分でも驚いた。その人は常に根底にあるのは虚無感で、寂しいというのは健康的だといわれた。そういえばずっと私は虚無感に苛まれていたのにこんなこといってしまうなんて、つまり何かが「ある」からなくなった時に「さみしい」と感じるわけで。いつからか気付いた自分のなかの二重人格性みたいなものでどちらも出たり入ったりする。
虚無感に包まれている時というのはなぜもこんなに物事を冷静に見つめる眼差しが生まれるんだろう。いろんなことがとてもクリアに見える。皮肉なものだ。
さみしい時は人を求めるし、誰もいなくなったらしくしく泣いて大人しく制作を始めるなんて素晴らしいことじゃないか。きっと創作しない人はずっと次が現れるまで寂しいままなんだろう。
私は自分が一回死んだと思っているので、なんだかんだといっても小さなことでもしあわせだ。これは本当に。もともと一人なんだって覚悟してしまえば世界は美しいな、と思えるし、一つ一つが大切に思えてくる。しかし今回は初めて人に頼ってみた。これは進歩だ。すごく良かった。こんな風に冷静でいられるのはちゃんと気持ちも弱音も口に出して自分で受け止めたし、いろいろ質問されて少しずつそれにこたえることによって整理できてきたから。ひとしきり甘えて迷惑かけたのでちゃんとお礼を言ってお返しするつもり。
どんな風にしても生きていけるよ。
大丈夫。もとにもどるだけだ、私も強くなってる。
こんな独りよがりな気持ちをブログに記録して何をカッコつけてるんだ、って後から笑い飛ばしたい。
ワンマンにむけて集中します
2019年9月3日火曜日
演者記録
去年と今年出会ったアーティスト
2018年6月高山 燦さん
2018年10月ネギ(杉本周太)さん
2018年11月ミヤザキナオコさん
2019年5月はるまつあるふゆさん
・いしぐろあやのさん
・瓶底いずこさん
去年から色々と心に響いたアーティストの方々、記録。
(自分が弾き語りだから歌うたい及びアコースティックユニット中心に。)
まずは再会編から。
つい先日、もう何年ぶりか、瓶底いずこさんを観に行った。
数年前から活動が下火になっていたのか、あまりお名前を聞くことがなかったのだが、ここ1、2年でまたちらほらと見かけるようになった。彼女との出会いは…7年前くらいかな、定かではないけれど、スローハンドで 対バンしたのが始めのように思う。彼女は初めて観たときからある意味完成されていて(もちろんいい意味で)見た目もいまとほとんど変わらない。あの人は歳をとるんだろうか。同い年で、私の作った歌の中でも「棺」というキーワードが出てくるおそらく最もダークな歌がよかった、って言ってくれたのと、保母さんとか向いてそう、みたいなことを言われたのをぼんやり覚えている。そのあとはこちらは観客として2〜3度見て、「しみの森」という曲がとても印象的だった。今回本編の最後に演奏されていてなんだか涙がでてきた。いつもそうなんだけど、心動かされて涙出るときは歌詞の意味とかではなくもっと野生的な感覚的な部分で泣けたりする。それは輪郭で縁取られた「言葉」ではなくて景色や温度や振動や、とにかく意味というフィルターを通さずにダイレクトに体に響いてくるパワーなんだろうな、と思う。だから「意味」で演奏するアーティストがたとえ優れていても私の読解スピードが追いついていないのでなかなか響かないんだろう。声だとか表現力だとか、間だとか、短い単語の羅列で出てくる景色だとか。そういうのがわたしには必要だ。スパゲティの曲は今回演らなかったな。
あの気の抜けたクールなキャラクターはアーティストとしてこの上ない強みだと思う。頭の良さみたいなものがにじみ出ていて、芸ひとつで渡り歩いている感じが最高にカッコよかった。今回の彼女の言葉で印象的だったのは、終演後話していた会話の中で、「わたしは自分以外の他人に本当に興味がない」と言っていたのがすごくうらやましくクールだった。
いしぐろあやのちゃん
7月のおわり、いしぐろあやのちゃんのツーマンライブを観に行った。
わたしなんかがいうのもなんだけど、 彼女は数年間の間に本当に見違えるようにすごく成長した。しかも初めに持っていた輝くものを一切壊さずに。
彼女のことはわたしはライブデビュー前から見ていて、彼女の初ライブもわたしが画策して共演したので成長していく過程をはじめからいままで見てきているんだけど、1〜2年くらい前か、いきなり急成長したときがあって、歳下の彼女だけど、私は演者としても人間としてもとっても尊敬してる。
自分にないものを求めるのは常だけど、まっすぐで、だけど嫌味がなくて、でもありふれた言葉でお茶を濁すことなく、瑞々しい気持ちを自分の言葉で、声で、演奏で伝えてくれる。表現力の向上も彼女の真面目でストイックな面を垣間見せてくれて、隙のないアーティストのかっこよさみたいなものに、ああ、この人が年上だったら確実に憧れて音楽を始めているな、と思わせてくれる。
彼女はもうあとは外に出て行くだけだな、と思う。今の音楽シーンにない歌の世界や少年のようなキラキラしたものを失わず、いつ売れても何も不思議でない状態の今の彼女に、詞というものの魅力を世の中に発信していってほしいな。
高山燦さん
彼を初めて見たとき思わずレコーダーを回した。私はどうもある周波数周辺の声を聞くと景色や色が浮かんでくるみたいで、脳天に響く音域だと景色が浮かぶとともに疲れや凝りがとれる。彼の声はその音域にツーンと響く。これまでにも月下美人のカナさんみたいにそういう声をもっている人を好きになってきた。(ギターの音は胸辺りに響く音が好きだ。心臓をぎゅーっと握りしめられてる感覚になる。)さて高山さんの声はふんわりと霧のかかったような優しくて息をたっぷり含んだ声で高音になると脳天を突くような鋭さも持つ。景色もぼんやりと夢の中のような白く濁ったフィルターをまとっていて、「夏の音」という曲がとてもすきだ。何かメッセージを歌うわけでもなく、友人のいる夏の風景を淡々と歌うその歌を聴くと、ちょうど去年の今頃よく聴いていたので吉田寮の空気感となぜか混ざってしまって思い起こされる。彼はバレーボーイズのギタリストだそうだけれど、動画を見たけど私はバンドよりソロの方がすきだな。そもそも彼はバンドでは歌っていないし。演奏に関しても間の取り方もたっぷりとしていて、ギターの音もすきだった。また聴きたい。
ネギ(杉本周太)さん
彼も高山さんと同じくバレーボーイズのメンバーでリーダー?だそう。曲を作っていると言ってたけど、やっぱり歌っていない。(というかみんなで合唱のように歌うので彼の声はわからない)。彼は高山さんとは全然ちがっていてもっと声の輪郭がはっきりとしていてブライト。やさしくもざらつきもあって張り上げたときなんてとてもパワフルだ。彼の曲で「霧のかかる街」という曲が大好きで、景色を描く水彩画のような高山さんの曲よりももっと「うた」で、景色もたくさん描いているけれど、韻や誰か対象への語りかけも多い。この曲は私の歩くスピードとピッタリで、歩くたびに口ずさんでしまう。「うた」としてすきなものってメロディーが回っている。日本語の歌詞がメロディーの回転の中で上昇するときに伸ばす音が入るようにできていたり、そうやって出来る言葉とメロディーのグルーヴがすき。無理なく心に染み込んでくる。きっとそれをしている人のほとんどは意識せずそれが気持ち良いからしているんだと思うけど、ソロの歌うたいとしてはそこを大事にしたい。そんなこと言っている私はこれを発見したのが最近なので過去の曲ではほぼできてない。ガラクタもいいって言ってくれる人たくさんいるけどすごく歌いにくいうた。ネギさんのうたは古いけど古くない、フォークだけどフォークじゃない、そんなうた。
ミヤザキナオコさん
初めての出会いは私の働くわからん屋にシャンソン企画で出られたとき。シャンソンってなかなか馴染みのない大人の世界、そして全国大会で優勝された方、という前情報で出会った。初対面の印象は、恐ろしく馬鹿丁寧な人、という感じだった。マルシアばりに全てに敬語で、ああ、シャンソンの世界はこういう感じなのか、と思った。年齢を聞いて私の2個上ということで驚いた。雰囲気的にもっと上に見えたから。同じ時代を生きてきた人なのにこうなるのか。やっぱシャンソンだから…と勝手に失礼な憶測をしていた。そして演奏になって何重にも衝撃を受けた。まず会話しているときには想像もつかなかった太くて通る声。揺るぎない実力のある人だった。そしてそれ以上に驚いたのは1曲目のシャンソン大会で優勝した曲のあとのオリジナル曲。シャンソンとは全く違う世界。その目をみて、この人は一体どんな人生を歩んできたんだろう、と思う一種の覚悟や悟りを感じる表情だった。詞の世界はなんでか手塚治虫の作品を思い出した。シャンソンの世界ってやっぱり少し古めかしさや型を感じると思っていたけど、彼女のオリジナルのうたは毒毒しさもあり、若さもあり、今を歌った生の感じもありでとても刺激的だった。おわってからももう一度聴きたくて2日後のスローハンドでのライブも見に行った。普段は東京で活動されていてツアー中だったのでラッキーだった。家に帰ってからYouTubeで調べて聴いてみたら、いでたちも雰囲気も歳相応だったので、どうやらあの馬鹿丁寧さや雰囲気は彼女の処世術であり、シャンソン用のよそ行きの顔なのだとわかった。そして最近テクノをしているとMCで言われていて、はて、と思ったのだが、どうやらそのユニットの相方がネガポジで私も共演したことのある平井ミエさんだった。ジャポネというユニット。実はミヤザキさん、過去にネガポジにも出演されているらしい。終演後少しお話できたのだけど、どうやら若い時に一度メジャーデビューされていて、それはそれは理不尽やら恐ろしいストレスやらにもみくちゃにされて現在があるようだ。それを聞いて心底なるほど、と思った。あの目は。彼女の恐ろしいほどの謙虚さは荒波の中でひどい扱いを受けてきたあとの、現在支えてくれている周りの人への感謝そのものなんだと思った。あと面白かったのは、「私、元ギャルなんですよ」という情報。最近ご結婚されたようで心から祝福したい。幸せになってください。また聴きたいな。関西来られたらライブに行こう。音源より断然生がいい。
はるまつあるふゆさん
こちらは男女ユニット。最近初めて観た。なんというか、彼らはお若いのに私自身昔にタイムスリップしたようで、ちょうど私がネガポジに出始めたころ、10年ぐらい前の丸太町のネガポジを思い出した。最近の若いアーティストでは珍しい雰囲気。お二人とも歌われるし演奏もされるけれど、女性の声が好きだな。息遣いがマイクを通して伝わってきて、心の毒がすーーっと抜けていく。商業的な感じや過去の音楽の引用などを意識せずに聞かせてくれる素敵なユニット。彼らもネガポジにで始めたのでまた聴きに行く。
そんなかんじです。
わかったことは、私の好きな女性アーティストはサムライみたいな人が多い、ということ。
私もそうなれるように頑張ろう。
12月10日にネガポジでワンマンをさせていただけることになりました。
そこに照準を合わせてがんばります。
ミヤザキナオコさん
初めての出会いは私の働くわからん屋にシャンソン企画で出られたとき。シャンソンってなかなか馴染みのない大人の世界、そして全国大会で優勝された方、という前情報で出会った。初対面の印象は、恐ろしく馬鹿丁寧な人、という感じだった。マルシアばりに全てに敬語で、ああ、シャンソンの世界はこういう感じなのか、と思った。年齢を聞いて私の2個上ということで驚いた。雰囲気的にもっと上に見えたから。同じ時代を生きてきた人なのにこうなるのか。やっぱシャンソンだから…と勝手に失礼な憶測をしていた。そして演奏になって何重にも衝撃を受けた。まず会話しているときには想像もつかなかった太くて通る声。揺るぎない実力のある人だった。そしてそれ以上に驚いたのは1曲目のシャンソン大会で優勝した曲のあとのオリジナル曲。シャンソンとは全く違う世界。その目をみて、この人は一体どんな人生を歩んできたんだろう、と思う一種の覚悟や悟りを感じる表情だった。詞の世界はなんでか手塚治虫の作品を思い出した。シャンソンの世界ってやっぱり少し古めかしさや型を感じると思っていたけど、彼女のオリジナルのうたは毒毒しさもあり、若さもあり、今を歌った生の感じもありでとても刺激的だった。おわってからももう一度聴きたくて2日後のスローハンドでのライブも見に行った。普段は東京で活動されていてツアー中だったのでラッキーだった。家に帰ってからYouTubeで調べて聴いてみたら、いでたちも雰囲気も歳相応だったので、どうやらあの馬鹿丁寧さや雰囲気は彼女の処世術であり、シャンソン用のよそ行きの顔なのだとわかった。そして最近テクノをしているとMCで言われていて、はて、と思ったのだが、どうやらそのユニットの相方がネガポジで私も共演したことのある平井ミエさんだった。ジャポネというユニット。実はミヤザキさん、過去にネガポジにも出演されているらしい。終演後少しお話できたのだけど、どうやら若い時に一度メジャーデビューされていて、それはそれは理不尽やら恐ろしいストレスやらにもみくちゃにされて現在があるようだ。それを聞いて心底なるほど、と思った。あの目は。彼女の恐ろしいほどの謙虚さは荒波の中でひどい扱いを受けてきたあとの、現在支えてくれている周りの人への感謝そのものなんだと思った。あと面白かったのは、「私、元ギャルなんですよ」という情報。最近ご結婚されたようで心から祝福したい。幸せになってください。また聴きたいな。関西来られたらライブに行こう。音源より断然生がいい。
はるまつあるふゆさん
こちらは男女ユニット。最近初めて観た。なんというか、彼らはお若いのに私自身昔にタイムスリップしたようで、ちょうど私がネガポジに出始めたころ、10年ぐらい前の丸太町のネガポジを思い出した。最近の若いアーティストでは珍しい雰囲気。お二人とも歌われるし演奏もされるけれど、女性の声が好きだな。息遣いがマイクを通して伝わってきて、心の毒がすーーっと抜けていく。商業的な感じや過去の音楽の引用などを意識せずに聞かせてくれる素敵なユニット。彼らもネガポジにで始めたのでまた聴きに行く。
そんなかんじです。
わかったことは、私の好きな女性アーティストはサムライみたいな人が多い、ということ。
私もそうなれるように頑張ろう。
12月10日にネガポジでワンマンをさせていただけることになりました。
そこに照準を合わせてがんばります。
2019年8月23日金曜日
季節が変わる。
ここ1年くらいで特に心動かされるアーティストに何組か出会ったのだけど
ブログに書こうと思ってグズグズしているうちにそれはそれはたっぷり時間が経ってしまった。
今日見たライブも素敵だった。少し小雨に降られて帰ってきて余韻に浸りながらいまブログを書いてる。近いうちに必ず今のこの気持ちを記録しておこうと思う。
それにしてもいつも機を待っているうちに完全に乗り遅れて何も進まないことばかり。
変わりたい。変わらないと本当に何もない人になってしまう。
自分の意思…というほど大きなことでなくてもね、曖昧でもいいから少しずつアウトプットしないと何にも進まないし伝わらないんだということに改めてほっぺたビシビシされている。
最後のチャンスかもしれない。
ダメだと思っていたことも思った方向に進まなくてもちゃんと伝えないとね。
伝わっていると思っていてもはっきり言わないと本当に伝わっていないものだから。
手遅れでもいいから刻みたい、そんないまです。
ブログに書こうと思ってグズグズしているうちにそれはそれはたっぷり時間が経ってしまった。
今日見たライブも素敵だった。少し小雨に降られて帰ってきて余韻に浸りながらいまブログを書いてる。近いうちに必ず今のこの気持ちを記録しておこうと思う。
それにしてもいつも機を待っているうちに完全に乗り遅れて何も進まないことばかり。
変わりたい。変わらないと本当に何もない人になってしまう。
自分の意思…というほど大きなことでなくてもね、曖昧でもいいから少しずつアウトプットしないと何にも進まないし伝わらないんだということに改めてほっぺたビシビシされている。
最後のチャンスかもしれない。
ダメだと思っていたことも思った方向に進まなくてもちゃんと伝えないとね。
伝わっていると思っていてもはっきり言わないと本当に伝わっていないものだから。
手遅れでもいいから刻みたい、そんないまです。
2019年8月19日月曜日
すべて気のせい
風邪をこじらせてる。
時間の感覚がヌルヌルと溶けていき、ぐっすりも眠れず、常に暑いし寒い。
先週の初めごろ鼻水と咳が止まらなくなり微熱が出はじめ、水曜には熱が下がっていたので何食わぬ顔で動き回っていたら、おさまっていたと思っていた症状がぶり返し、昨日動けなくなってしまってわずかな休日が完全に潰れてしまった。丸一日ほぼ寝倒したにもかかわらず、今日も動けず。
一週間微熱が続いてて治る気配がない。
寝るのも飽きた
動きたい
働きたい
寝てる間に自分が子供の頃に観てたお笑いやアニメを見てたんだけどその時代にあって今ないものっていうのを考えてた。やっぱりその頃のもの特有の何かに惹かれるものがあるんだろう。今ないなら自分がその部分を満たすものを作ればいいのではないのかな、ということで停滞していた自分の何かの突破口になるんじゃないか、この感覚を失いたくないと思ったのが今回の病の収穫だった。見たいアニメが有料だったので長らく持っていないクレジットカードを再び持とうと思う。テレビもそろそろ持とう。実家を離れてからだからかれこれテレビを持たなくなって7年ほど経つ。今のテレビのチカチカした蛍光色の画面は私には向かないのでアナログ放送時代のあれこれをそれで観たい。そのためにも引っ越さねば。
何か少しずつ動き始めているのかもしれないしそうでないかもしれない。
時間の感覚がヌルヌルと溶けていき、ぐっすりも眠れず、常に暑いし寒い。
先週の初めごろ鼻水と咳が止まらなくなり微熱が出はじめ、水曜には熱が下がっていたので何食わぬ顔で動き回っていたら、おさまっていたと思っていた症状がぶり返し、昨日動けなくなってしまってわずかな休日が完全に潰れてしまった。丸一日ほぼ寝倒したにもかかわらず、今日も動けず。
一週間微熱が続いてて治る気配がない。
寝るのも飽きた
動きたい
働きたい
寝てる間に自分が子供の頃に観てたお笑いやアニメを見てたんだけどその時代にあって今ないものっていうのを考えてた。やっぱりその頃のもの特有の何かに惹かれるものがあるんだろう。今ないなら自分がその部分を満たすものを作ればいいのではないのかな、ということで停滞していた自分の何かの突破口になるんじゃないか、この感覚を失いたくないと思ったのが今回の病の収穫だった。見たいアニメが有料だったので長らく持っていないクレジットカードを再び持とうと思う。テレビもそろそろ持とう。実家を離れてからだからかれこれテレビを持たなくなって7年ほど経つ。今のテレビのチカチカした蛍光色の画面は私には向かないのでアナログ放送時代のあれこれをそれで観たい。そのためにも引っ越さねば。
何か少しずつ動き始めているのかもしれないしそうでないかもしれない。
2019年8月16日金曜日
送り火と諸々
さっき初めて今のアパートから大文字をみた。
かれこれここに越してきてから2年ちょっと経つ。
うちのアパートは破格の安さだが屋上がある。午後7時58分に「今日は大文字か」と気付き、なんとなく屋上に上がってみると、すでに女性の先客がいた。軽く会釈をしたが、もしかしたら去年くらいに越してきた隣の部屋の人かもしれない。いつも後ろ姿を少し見るくらいで挨拶をする機会もなかったので背格好だけでなんとなくそう思う。ギターの音などで迷惑かけているかもしれないのであまり元気に挨拶もしづらい。そうこうしているともう1名女性が上がってきた。眼鏡をかけたおとなしそうな女性。私が越してきた頃には女性の住人などほとんどいなかったであろうが、最近女性の気配がするなあ、と思っていたら結構女性の割合が増えているようだ。
全然知らなかったがこんなにも綺麗に見えるものかとぼんやり眺めていた。以前住んでいたアパートの隣の棟の屋上は5山のうち4山の送り火が見られるところだったから大家さんが飲み物を持ってきてくれたり、割とワイワイしていた。2年ぶりの大文字。10分ほどすると2人とも帰って行った。せっかくなので火がなくなるまで眺めていようと思った。...魂が帰っていくのか。大切な人が亡くなった人にとってはどんな風に見えているんだろう。宗教というものが今よりも重みを持っていた時代の人々はどんな風に見たのだろうと思いを馳せたり馳せなかったり...
さらに10分ほど経った頃、先ほどの女性のうち眼鏡のほうの人が戻ってきた。「今年は消えるのが早いですねえ、まだ20分しか経っていないのに」と彼女は言う。歳の頃は私と同じくらいだろうか。ちょっと下だろうか。アニメ声のような感じで関東のイントネーション。ゆっくりとした話し方。なんとなく少し会話をし始めた。彼女は1年くらい前に引っ越してきたそうで、ほんわかしたように見えていたが中国についての研究者だというので驚いた。そのへんから俄然興味が湧いてきた私は色々と質問をした。しかしさすが研究者、落ち着いた口調でとてもわかりやすく色々と話をしてくれた。なんでも中国に5年住んでいたそうで、その間にいろんなところを巡ったそうだ。
印象的だった場所の土地の七彩山のはなし
画像を見せてもらったが、実際の場所もこんな色らしい(加工されている画像も出回っているが、この画像は実際見た色に近いとのこと!)。
かれこれここに越してきてから2年ちょっと経つ。
うちのアパートは破格の安さだが屋上がある。午後7時58分に「今日は大文字か」と気付き、なんとなく屋上に上がってみると、すでに女性の先客がいた。軽く会釈をしたが、もしかしたら去年くらいに越してきた隣の部屋の人かもしれない。いつも後ろ姿を少し見るくらいで挨拶をする機会もなかったので背格好だけでなんとなくそう思う。ギターの音などで迷惑かけているかもしれないのであまり元気に挨拶もしづらい。そうこうしているともう1名女性が上がってきた。眼鏡をかけたおとなしそうな女性。私が越してきた頃には女性の住人などほとんどいなかったであろうが、最近女性の気配がするなあ、と思っていたら結構女性の割合が増えているようだ。
全然知らなかったがこんなにも綺麗に見えるものかとぼんやり眺めていた。以前住んでいたアパートの隣の棟の屋上は5山のうち4山の送り火が見られるところだったから大家さんが飲み物を持ってきてくれたり、割とワイワイしていた。2年ぶりの大文字。10分ほどすると2人とも帰って行った。せっかくなので火がなくなるまで眺めていようと思った。...魂が帰っていくのか。大切な人が亡くなった人にとってはどんな風に見えているんだろう。宗教というものが今よりも重みを持っていた時代の人々はどんな風に見たのだろうと思いを馳せたり馳せなかったり...
さらに10分ほど経った頃、先ほどの女性のうち眼鏡のほうの人が戻ってきた。「今年は消えるのが早いですねえ、まだ20分しか経っていないのに」と彼女は言う。歳の頃は私と同じくらいだろうか。ちょっと下だろうか。アニメ声のような感じで関東のイントネーション。ゆっくりとした話し方。なんとなく少し会話をし始めた。彼女は1年くらい前に引っ越してきたそうで、ほんわかしたように見えていたが中国についての研究者だというので驚いた。そのへんから俄然興味が湧いてきた私は色々と質問をした。しかしさすが研究者、落ち着いた口調でとてもわかりやすく色々と話をしてくれた。なんでも中国に5年住んでいたそうで、その間にいろんなところを巡ったそうだ。
印象的だった場所の土地の七彩山のはなし
画像を見せてもらったが、実際の場所もこんな色らしい(加工されている画像も出回っているが、この画像は実際見た色に近いとのこと!)。
すごい。こんな景色があるなんて。
そのほかにも、行ってみたいけれどいけなかった場所として「色達」(セルダと読む)というところ、そしてその場所の位置する東チベットのことや中国の治安のことなどについて教えてくれた。
この赤いものは全てプレハブの建物で、盆地に階段状にあり、夕日がさすとそれはそれは美しい景色だそうだ。しかし、この建物は老朽化だろうか、あと3年もすればすべて取り壊されてハゲ山になるらしい。なんでも、現在この場所は外国の人が入れない場所になっているそうで、4年くらい前まではタクシーの運転手に袖の下を渡せばなんとか入れたそうだが、政府の監視が強くなったので難しいらしい。この場所では今も鳥葬が行われていて、どのように行うかなども詳しく教えてくれた。
意外だったのは、だいたい中国はどこにいっても治安がいいということだった。北朝鮮に近いところと、軍事関係の場所は確かに危険があるとのことだったが、基本的にはどこもゆったりとしていて過ごしやすいところだということだった。
ほかにも色々話を聞いたりしたが、気がついたら1時間半くらい経っていた。
そういえばつい1ヶ月ほど前に知り合った女性も中国と縁のある人でどことなく2人の雰囲気はにている。どうしたんだろう。今度は中国に呼ばれているのかな…
ベランダのないこの家で植物を育てているということで、バジルの種をくれた。
こんな私に育てられるのか…
枯らさないかどうかこわくてたまらない…
そしてご近所さんとの人間関係など私にできるのか...
そんな16日のよる。
2019年8月14日水曜日
空
この季節の夕焼けが一番好きだ。
夕焼けというとなんとなく秋のイメージが強いかもしれないけれど、秋の夕焼けはオレンジがかって静かでスモーキーな夕焼けだ。真夏のゆうやけはピンク色だ。しかも蛍光色に近い。絵の具でいうとコーラルピンクやジョンブリヤンなどにみられる蛍光を含んだピンクだ。そして夜の青とのコントラストがすごくいい。
大学生の頃は滋賀に通っていたので琵琶湖沿いの広い空と夕焼けが大好きだった。
最近みんなツイッターなどでいろんな場所でのいろんな空をアップしてくれるから嬉しい。
夕焼けというとなんとなく秋のイメージが強いかもしれないけれど、秋の夕焼けはオレンジがかって静かでスモーキーな夕焼けだ。真夏のゆうやけはピンク色だ。しかも蛍光色に近い。絵の具でいうとコーラルピンクやジョンブリヤンなどにみられる蛍光を含んだピンクだ。そして夜の青とのコントラストがすごくいい。
大学生の頃は滋賀に通っていたので琵琶湖沿いの広い空と夕焼けが大好きだった。
最近みんなツイッターなどでいろんな場所でのいろんな空をアップしてくれるから嬉しい。
誕生日
誕生日だった。
誰かに祝って欲しい、ていうのもなんだか言えなくて、
多分自分の誕生日など他人から見ればどうでもいいことなんだろうなあ、ということで、自分のためだけにケーキ作りました。
誰かに祝って欲しい、ていうのもなんだか言えなくて、
多分自分の誕生日など他人から見ればどうでもいいことなんだろうなあ、ということで、自分のためだけにケーキ作りました。
過酷な環境の中、スポンジケーキはうまく焼けた。
裏。
スーパーやら果物屋さんやら灼熱の中探したけどイチゴはアメリカ産800円しかないので断念。マンゴー、桃と悩んだ挙句、イチジクにした。
このようになりました
暑すぎてクリームの整形が困難。
美しく作るための道具が幾つか足りない。
自分で苦労して作った22センチホール大サイズケーキにろうそくを立てて自分で消すという作業が虚しすぎました。
あまりに大きいので1切れで十分。
いい材料使ったので味はおいしかったです。
冷蔵庫を占拠されすぎて日持ちもしなさそうなので解け落ちそうなリスクを抱えながらなんとか実家までもってかえり、母、兄、甥にふるまいました。
教訓:ホールの生ケーキなんて自分だけのために作るもんじゃない。
来年は誰か一緒に食べてくれるといいな。
おわり。
なう。
久々に風邪をひいた。
色々とやること(やらないといけないこと、やりたいこと)はあるのだけれどちょうどいい機会だからブログを書いてる。SNSでいつもつぶやかないようなことをつぶやいたり返信したりしてみたけれど迷惑かもしれないから。見たいひとだけみてください。徒然なるままです。
最近のことを思い出したところから書いてみようかな。
そもそもなぜSNSでつぶやいていたかというと風邪をひいたからだった。(治ったと思ってさっき体温計で測ったらまだ微熱のまま)風邪をひいてだるいくせに動けないほどしんどいわけじゃなく、手持ち無沙汰になったのと体調悪くなるとちょっとさみしくなるから、しかしさみしいから呟くというのもなんだか逆効果だったりどうでもいい内容が皆様のタイムラインに垂れ流されるのを後から後悔してしまったりするのでできればどうでもよいあれこれはここで消化してしまいたい。
色々とやること(やらないといけないこと、やりたいこと)はあるのだけれどちょうどいい機会だからブログを書いてる。SNSでいつもつぶやかないようなことをつぶやいたり返信したりしてみたけれど迷惑かもしれないから。見たいひとだけみてください。徒然なるままです。
最近のことを思い出したところから書いてみようかな。
そもそもなぜSNSでつぶやいていたかというと風邪をひいたからだった。(治ったと思ってさっき体温計で測ったらまだ微熱のまま)風邪をひいてだるいくせに動けないほどしんどいわけじゃなく、手持ち無沙汰になったのと体調悪くなるとちょっとさみしくなるから、しかしさみしいから呟くというのもなんだか逆効果だったりどうでもいい内容が皆様のタイムラインに垂れ流されるのを後から後悔してしまったりするのでできればどうでもよいあれこれはここで消化してしまいたい。
2019年6月27日木曜日
見送る人
5月に書いたブログを一度アップしたり、
自分の書いたことなのにそれを読んで嫌になって消したり、
それを弁明するようなブログを書いて下書き時点で嫌になってまた消したり
ぐずぐずうちに3ヶ月更新されずのブログでした。
思えば3月には佐伯くんをお見送りするためにネガポジに臨時出演した。
5月の末に京都を離れた大島史成さんのレコーディングのコーラスに参加することになった。
そして昨日知ったのだが、7月にこれまたネガポジ周年イベントに臨時出演することになった日の対バンのセンテンスさんが今月いっぱいで京都を離れて東京に行かれるとのこと。
3者とも、出会ってから数ヶ月しか経っておらず(大島さんに至っては1ヶ月くらい?)、面識も5回以下の人々ばかり。すべてネガポジで出会って、ネガポジからお見送りしている。(する)。
私は活動を休止しているのに、こんな出会いや別れがあるなんてなんて意地悪なんだろう。
思えば一番触れている時間が長いのは絵だけれど、誰かに向けてコンスタントに発表することを続けてこられたのは音楽だけで、それでもそれさえも思うように行かず、生活をシンプルにしようと休止という選択肢を選んだ。あと1ヶ月ほどで活動休止してから1年になる。この1年、当事者として音楽に触れている時間は圧倒的に減った。だけどたくさんライブを観に行った。出会いもあった。でもその出会いはやはりお客さんとしてではなくて、活動していなくても歌うたいのフジコとしての出会いだった。本当に素敵な人たちと出会えているし、これからもそんな気がする。
そして何より、創作意欲や新鮮な気持ちがほんの少しずつ戻ってきている気がする。これは本当に嬉しいことだ。活動再開出来るイメージも少し湧いてきた。
実は今日は先ほど書いた、大島史成さんのCDのコーラス撮りの1回目をしてきた。
マンツーマンでのレコーディングは「ガラクタ」を撮った8年前以来だったけれど、当時とは圧倒的に違っていて、ストレスもほぼなく、とても楽しかった。レコーディングっていいいなあ、と素直に楽しめた。とても嬉しい。その他にもネガポジ界隈の方々が各パート参加されているので出来上がったらぜひ聴いていただきたいです。自分の音源も作りたいと前向きに素直に思えたな。
自分の書いたことなのにそれを読んで嫌になって消したり、
それを弁明するようなブログを書いて下書き時点で嫌になってまた消したり
ぐずぐずうちに3ヶ月更新されずのブログでした。
思えば3月には佐伯くんをお見送りするためにネガポジに臨時出演した。
5月の末に京都を離れた大島史成さんのレコーディングのコーラスに参加することになった。
そして昨日知ったのだが、7月にこれまたネガポジ周年イベントに臨時出演することになった日の対バンのセンテンスさんが今月いっぱいで京都を離れて東京に行かれるとのこと。
3者とも、出会ってから数ヶ月しか経っておらず(大島さんに至っては1ヶ月くらい?)、面識も5回以下の人々ばかり。すべてネガポジで出会って、ネガポジからお見送りしている。(する)。
私は活動を休止しているのに、こんな出会いや別れがあるなんてなんて意地悪なんだろう。
思えば一番触れている時間が長いのは絵だけれど、誰かに向けてコンスタントに発表することを続けてこられたのは音楽だけで、それでもそれさえも思うように行かず、生活をシンプルにしようと休止という選択肢を選んだ。あと1ヶ月ほどで活動休止してから1年になる。この1年、当事者として音楽に触れている時間は圧倒的に減った。だけどたくさんライブを観に行った。出会いもあった。でもその出会いはやはりお客さんとしてではなくて、活動していなくても歌うたいのフジコとしての出会いだった。本当に素敵な人たちと出会えているし、これからもそんな気がする。
そして何より、創作意欲や新鮮な気持ちがほんの少しずつ戻ってきている気がする。これは本当に嬉しいことだ。活動再開出来るイメージも少し湧いてきた。
実は今日は先ほど書いた、大島史成さんのCDのコーラス撮りの1回目をしてきた。
マンツーマンでのレコーディングは「ガラクタ」を撮った8年前以来だったけれど、当時とは圧倒的に違っていて、ストレスもほぼなく、とても楽しかった。レコーディングっていいいなあ、と素直に楽しめた。とても嬉しい。その他にもネガポジ界隈の方々が各パート参加されているので出来上がったらぜひ聴いていただきたいです。自分の音源も作りたいと前向きに素直に思えたな。
録音機材欲しくなってしまうな。使いこなせないだろうけど。終始和やかな空気のもと、アイディアが形になっていくのが嬉しい。
レコーディングのあとはずっと行ってみたかった喫茶店で打ち合わせ。新譜をリリースされたばかりのミカコハサウェイさんに褒められた愛用の帽子。自転車に乗っていると空気抵抗でよく飛ばされる。これまで10人くらいに拾っていただいた。恋はまだ生まれていない。
台風が来ているとかなんとかで雨降りの今日でした。
低気圧のせいか重だるく、休み休み作業をして今日を終える。
また次いつライブをするかわからないのでぜひ観に来てください。宜しくお願いします。
7月8日(月)
西院ネガポジ
出演
センテンス
ヤマモトケンジ
Kana from Cuberry
フジコ
open 18:30 start 19:30
adv.¥1,200 door ¥1,500
2019年3月10日日曜日
ネガポジ終了と昨晩のこと
ネガポジ、久々のステージでした。見に来ていただいた、見届けていただいた皆さんは本当にありがとうございました。エレキ弾き語りに挟まれた日でした。
新曲やりました。「シルシ」っていう曲。全体的なライブの出来は自分ではよくわからないけど、ここ最近の体調や精神状態で新曲やったのはがんばった。あんまり自分を褒めないけど。ほめてあげる。色々考えすぎて計画だけ立てて計画したことさえ忘れてしまうくらいだからもう何にも考えずにとにかく自分の気持ちに引っかかった部分を駄作でもいいからどんどん曲にして1度やって二度とやらないものでもいいや、という気持ちで作りましたこれからもそうします。トリミングはいいけど枠内に収めようとはじめからやると縮こまったものになってしまうからな。絵と同じで。プロデュースってのだってそういうことだきっと。活動休止中というのはライブ活動は休止するけどそれでも創作の頭は持ち続けなきゃな、というのを痛感したのでこれからもその気持ちは持ち続けようと思う。
それにしても当日はライブ終了しても体がガチガチでなんだかとてもしんどかったし、その前にあったことや疲れやなんだかわからないものが堆積してぐったり、もちろんライブはその時できるものをせいいっぱいやったしそれしかないし、お客さんへの手応えとか全然なかったしやっぱ再開するのもどうかな、という気持ちが強かったけどネガポジマスターの山崎さんは褒めてくれたな。山崎さんはまだ新曲のことはまだよくわからない、とも言ってた。そして再確認したのは山崎さんも私も2人が共通して好きなアーティストも景色や色を曲でみたり描いたりするタイプということで、この間からこの日共演した店長の有本秀右(しゅうくん)とちょっとしたバトルになってたことなんだけど私がライブ中のグラサン外してほしいって言ったのから始まった諸々のやり取りは音で音楽を作る人と景色で音楽を作る人の違いっていうそもそもの始まりのところから始まっている、ということに今私の中ではおちついた。だから音で音楽作る人、譜面の段階で曲の構造そのものにアイディア詰め込まれたものが興味の中心の人にはコードも単純で楽器も歌も全然うまくないわたしはどうやっても響かないだろうなあ、できることやろう、という感じ。そもそも絵が描きたいから音楽やめる、っていうのもそうなると意味ないので、絵も音楽もどんどん描いていこう、ということです。(もちろん音楽的なアイディアも景色も両方あるのがいいに決まっているし、やりたいことやりながら世に出ている人はそれが両方できているんだろう。どっちから始まった人もどっちも伸ばしていったら豊かになるね。あと、「うた」と「音楽」の違いっていうのも諸々含まれているはなしで。両方のたのしめたら今よりもっと楽しくなるね)
そしてその次の日はその日来てくれていた人たちのイベントだったのでとても行きたかったけれどわからん屋のお仕事だったのでごめんなさい、でしたそしてそれが昨晩。とはいえ、わたしが学生時代に追っかけまくっていた月下美人のカナさんと松井恵子さんとザンネンズというベテラン勢の女性の先輩ばかりの日、出演者はもちろんお客さんも昨日とはまったく雰囲気でのライブだった。昨日が昨日で今日が今日で本当に良かった、この日が自分のライブの直後だったからこそ本当にすごくいろんなものが響き倒した、ライブ後に恵子さんとカナさんとはなしたことがもう今のわたしに刺さりまくって色々吐き出した。恵子さんは、この間初めてステージを観て衝撃をうけたミヤザキナオコさんとのスローハンドでのツーマンを観に行った時以来で、その時中途半端になっていた話も含めて何に悩んでどんな風に理解して続けているのか、っていうことを聞いて、自分のヒントになったし、絵の活動も2人に話して早くやらなきゃいけない具体的なこと、っていうのが明確になった。今わたしを悩ませていることの根本はどうにもならないので時間が解決してくれるのを待つしかないんだけど、人生短いからもう女性云々のタイムリミットは現実に今降りかかっているとしてジタバタせずに人としてやりたいこと実際にやっていかないと絶望ばかりになっちゃうな、という話。いろいろとっくに諦めていたはずなんだけどなあ。定期的に2人と話がしたいな。コミュニケーション不足、愛情不足だったたぶん。2人とはなしているとお風呂に入っているみたいで疲れがスーッと取れてあったかくなって久しぶりに本当にぐっすり眠れた。
さて今日から来週の弥生ノ二頁に向けて準備の日々がはじまる。この日はライブじゃない部分もメインのところが大きいのでゆったり楽しめたらいいな。そのあとのことは何も考えてないけど、あ、5月19日(日)はわからん屋のブッキング、わたしがしています。ネガポジのズルムケ直樹くんが出たいといってくれたので、円ひろしのバックで鍵盤を弾いたりされてる島田篤さんと昨日のザンネンズにお願いして出ていただけることになった。好きな人ばかり。楽しみ!どうぞお越しを。
新曲やりました。「シルシ」っていう曲。全体的なライブの出来は自分ではよくわからないけど、ここ最近の体調や精神状態で新曲やったのはがんばった。あんまり自分を褒めないけど。ほめてあげる。色々考えすぎて計画だけ立てて計画したことさえ忘れてしまうくらいだからもう何にも考えずにとにかく自分の気持ちに引っかかった部分を駄作でもいいからどんどん曲にして1度やって二度とやらないものでもいいや、という気持ちで作りましたこれからもそうします。トリミングはいいけど枠内に収めようとはじめからやると縮こまったものになってしまうからな。絵と同じで。プロデュースってのだってそういうことだきっと。活動休止中というのはライブ活動は休止するけどそれでも創作の頭は持ち続けなきゃな、というのを痛感したのでこれからもその気持ちは持ち続けようと思う。
それにしても当日はライブ終了しても体がガチガチでなんだかとてもしんどかったし、その前にあったことや疲れやなんだかわからないものが堆積してぐったり、もちろんライブはその時できるものをせいいっぱいやったしそれしかないし、お客さんへの手応えとか全然なかったしやっぱ再開するのもどうかな、という気持ちが強かったけどネガポジマスターの山崎さんは褒めてくれたな。山崎さんはまだ新曲のことはまだよくわからない、とも言ってた。そして再確認したのは山崎さんも私も2人が共通して好きなアーティストも景色や色を曲でみたり描いたりするタイプということで、この間からこの日共演した店長の有本秀右(しゅうくん)とちょっとしたバトルになってたことなんだけど私がライブ中のグラサン外してほしいって言ったのから始まった諸々のやり取りは音で音楽を作る人と景色で音楽を作る人の違いっていうそもそもの始まりのところから始まっている、ということに今私の中ではおちついた。だから音で音楽作る人、譜面の段階で曲の構造そのものにアイディア詰め込まれたものが興味の中心の人にはコードも単純で楽器も歌も全然うまくないわたしはどうやっても響かないだろうなあ、できることやろう、という感じ。そもそも絵が描きたいから音楽やめる、っていうのもそうなると意味ないので、絵も音楽もどんどん描いていこう、ということです。(もちろん音楽的なアイディアも景色も両方あるのがいいに決まっているし、やりたいことやりながら世に出ている人はそれが両方できているんだろう。どっちから始まった人もどっちも伸ばしていったら豊かになるね。あと、「うた」と「音楽」の違いっていうのも諸々含まれているはなしで。両方のたのしめたら今よりもっと楽しくなるね)
そしてその次の日はその日来てくれていた人たちのイベントだったのでとても行きたかったけれどわからん屋のお仕事だったのでごめんなさい、でしたそしてそれが昨晩。とはいえ、わたしが学生時代に追っかけまくっていた月下美人のカナさんと松井恵子さんとザンネンズというベテラン勢の女性の先輩ばかりの日、出演者はもちろんお客さんも昨日とはまったく雰囲気でのライブだった。昨日が昨日で今日が今日で本当に良かった、この日が自分のライブの直後だったからこそ本当にすごくいろんなものが響き倒した、ライブ後に恵子さんとカナさんとはなしたことがもう今のわたしに刺さりまくって色々吐き出した。恵子さんは、この間初めてステージを観て衝撃をうけたミヤザキナオコさんとのスローハンドでのツーマンを観に行った時以来で、その時中途半端になっていた話も含めて何に悩んでどんな風に理解して続けているのか、っていうことを聞いて、自分のヒントになったし、絵の活動も2人に話して早くやらなきゃいけない具体的なこと、っていうのが明確になった。今わたしを悩ませていることの根本はどうにもならないので時間が解決してくれるのを待つしかないんだけど、人生短いからもう女性云々のタイムリミットは現実に今降りかかっているとしてジタバタせずに人としてやりたいこと実際にやっていかないと絶望ばかりになっちゃうな、という話。いろいろとっくに諦めていたはずなんだけどなあ。定期的に2人と話がしたいな。コミュニケーション不足、愛情不足だったたぶん。2人とはなしているとお風呂に入っているみたいで疲れがスーッと取れてあったかくなって久しぶりに本当にぐっすり眠れた。
さて今日から来週の弥生ノ二頁に向けて準備の日々がはじまる。この日はライブじゃない部分もメインのところが大きいのでゆったり楽しめたらいいな。そのあとのことは何も考えてないけど、あ、5月19日(日)はわからん屋のブッキング、わたしがしています。ネガポジのズルムケ直樹くんが出たいといってくれたので、円ひろしのバックで鍵盤を弾いたりされてる島田篤さんと昨日のザンネンズにお願いして出ていただけることになった。好きな人ばかり。楽しみ!どうぞお越しを。
2019年1月28日月曜日
1月20日以降のこと
寝床に入る。
怒涛の1週間をなんとかやり過ごした。
思えば約1週間前に原因不明の腹痛によりお腹を下し、夜中じゅう苦しんだ後、なんとか微熱を伴う症状は治まったが食事が喉を通らず、しかし根性で乗り切った後、どうしてもこなさなくてはならなくなった案件が重なり、トリプルワークにより朝7時過ぎに家をでて帰るのが夜中のてっぺんをなんとか回らないくらいの時間、バタバタと寝る準備をして気を失うようにして就寝、また次の日も同様。そんな生活を数日間やり過ごし、本日無事必要な発送物を見送り、事なきを得た。
しかし自分の予想に反して思ったよりもうまいことできたことに驚きを隠せない。なんだ、こんな風に日々を過ごせたらさぞたくさんの事ができるであろうに。今頃スーパースターになっているであろうに。私はやはり馬車馬のように働くほうが向いているのかもしれない。きっと怠けていてもゴロゴロしているだけでつまらないだろうから。ゴロゴロすることに忙しくなって結局ゆったりできない。きっと。ゴロゴロ。(仕事は難しいことしてるわけじゃないのに、なんなら脳みそ停止してる時間が多いのに馬車馬て。)
まずは一息ついたことにより、身の回りの崩壊しているものの購入のため靴探しにでかけたが、いいのが見つからず、飲み口の部分がちょうど欠けてしまったコーヒーカップの代わりを購入しようといつもの雑貨屋さんに行った。そっくりなフォルムのものがあったのでそれに決めた。しましま感が前のやつのほうが気に入っているが、きっと使っているうちに新しいのにも愛着がわくと思う。そして愛着がわいた頃にまた欠けるんだきっと。きっと。きっと欠っと。ほかにもグラタン皿やら放射状の模様の入ったほんのり和風の小鉢などをカゴに並べ、閉店間近でおしゃれな店員さんにカゴを渡し、さてお会計をとカバンを開ける。財布がない。.....店員さんの前でしばし固まったあと、給料袋が入っていることを思い出し、とにかく支払いを済まそうとゴソゴソカバンを漁り封筒からピンピンの一万円札を差し出した。閉店時間になっていたので店員さんが2人がかりで丁寧に包んでくれている間、さっき行ったトイレのことやその前に小腹を満たすために行ったマクドナルドのことなどで頭がいっぱい。しかしこういうときにすぐプチパニックになる自分の性質なので、いや、生まれ変わるんだ、と謎の気合を入れ、何食わぬ顔でありがとう、と紙袋を受け取ると、定員さんが「お財布亡くされたようでしたらインフォメーションにいっていただければ」と優しく教えてくださった。まずは先ほどのトイレをのぞくも姿はない。さっき教えてもらった1階のインフォメーションに行ったが閉店時間を少し過ぎていたので誰もいないしすでに明かりが消えて暗くなっていた。いつもならここでスマホの充電がない、となりそうだが今日はマクドナルドで充電したおかげで十分。携帯でイオンのホームページから連絡先がないか探す。充電は十分だが月末の速度制限でなかなかでてこない。唯一つながりそうなスーパーコーナーの連絡先に電話するもやはり担当ではないようなので警備室の電話番号を教えてくれた。無事つながるもどうやら届いていない様子。コートも着ないまま外に出て、いや落ち着けとベンチに荷物を降ろしコートのボタンもしっかり止め、背筋を伸ばし歩きながらマクドナルドの電話番号をスマホで探す。。走馬灯のように免許再発行やら保険証再発行やらこれから帰るための自転車の鍵やとめている駐輪場の一時利用券やらが次々と思い起こされる。なんとか見つかって繋がった。「はい、お預かりしております」あー! 助かった、ほんとによかったと胸をなでおろすとともに今度は外側は物理的に、内側はレシートやらでぐちゃぐちゃでとにかく汚い財布を見られているであろうということやらが頭をめぐり、受け取りの際には出来うる限り最もスマートな表情と声でお礼を言い、受け取った。
自転車での帰り道は小雨がほんの少し降っていてきつくなるなよ、と祈りながら夜風に吹かれて赤信号を避けながらいつもと違う道を通るも暗くて見えにくかった歩道の段差でバウンド、危うく購入した食器がカゴから投げ出されて粉々になるところだった。
何もかもがギリギリでうまくいった、一歩まちがったら全てが崩壊する危うい1日であった。こんな日はおとなしく家で英気を養うに限る。明日は音楽にたっぷり時間を使いたい。
今まで使っていたカップと新しいカップ。
おやすみなさい。
怒涛の1週間をなんとかやり過ごした。
思えば約1週間前に原因不明の腹痛によりお腹を下し、夜中じゅう苦しんだ後、なんとか微熱を伴う症状は治まったが食事が喉を通らず、しかし根性で乗り切った後、どうしてもこなさなくてはならなくなった案件が重なり、トリプルワークにより朝7時過ぎに家をでて帰るのが夜中のてっぺんをなんとか回らないくらいの時間、バタバタと寝る準備をして気を失うようにして就寝、また次の日も同様。そんな生活を数日間やり過ごし、本日無事必要な発送物を見送り、事なきを得た。
しかし自分の予想に反して思ったよりもうまいことできたことに驚きを隠せない。なんだ、こんな風に日々を過ごせたらさぞたくさんの事ができるであろうに。今頃スーパースターになっているであろうに。私はやはり馬車馬のように働くほうが向いているのかもしれない。きっと怠けていてもゴロゴロしているだけでつまらないだろうから。ゴロゴロすることに忙しくなって結局ゆったりできない。きっと。ゴロゴロ。(仕事は難しいことしてるわけじゃないのに、なんなら脳みそ停止してる時間が多いのに馬車馬て。)
まずは一息ついたことにより、身の回りの崩壊しているものの購入のため靴探しにでかけたが、いいのが見つからず、飲み口の部分がちょうど欠けてしまったコーヒーカップの代わりを購入しようといつもの雑貨屋さんに行った。そっくりなフォルムのものがあったのでそれに決めた。しましま感が前のやつのほうが気に入っているが、きっと使っているうちに新しいのにも愛着がわくと思う。そして愛着がわいた頃にまた欠けるんだきっと。きっと。きっと欠っと。ほかにもグラタン皿やら放射状の模様の入ったほんのり和風の小鉢などをカゴに並べ、閉店間近でおしゃれな店員さんにカゴを渡し、さてお会計をとカバンを開ける。財布がない。.....店員さんの前でしばし固まったあと、給料袋が入っていることを思い出し、とにかく支払いを済まそうとゴソゴソカバンを漁り封筒からピンピンの一万円札を差し出した。閉店時間になっていたので店員さんが2人がかりで丁寧に包んでくれている間、さっき行ったトイレのことやその前に小腹を満たすために行ったマクドナルドのことなどで頭がいっぱい。しかしこういうときにすぐプチパニックになる自分の性質なので、いや、生まれ変わるんだ、と謎の気合を入れ、何食わぬ顔でありがとう、と紙袋を受け取ると、定員さんが「お財布亡くされたようでしたらインフォメーションにいっていただければ」と優しく教えてくださった。まずは先ほどのトイレをのぞくも姿はない。さっき教えてもらった1階のインフォメーションに行ったが閉店時間を少し過ぎていたので誰もいないしすでに明かりが消えて暗くなっていた。いつもならここでスマホの充電がない、となりそうだが今日はマクドナルドで充電したおかげで十分。携帯でイオンのホームページから連絡先がないか探す。充電は十分だが月末の速度制限でなかなかでてこない。唯一つながりそうなスーパーコーナーの連絡先に電話するもやはり担当ではないようなので警備室の電話番号を教えてくれた。無事つながるもどうやら届いていない様子。コートも着ないまま外に出て、いや落ち着けとベンチに荷物を降ろしコートのボタンもしっかり止め、背筋を伸ばし歩きながらマクドナルドの電話番号をスマホで探す。。走馬灯のように免許再発行やら保険証再発行やらこれから帰るための自転車の鍵やとめている駐輪場の一時利用券やらが次々と思い起こされる。なんとか見つかって繋がった。「はい、お預かりしております」あー! 助かった、ほんとによかったと胸をなでおろすとともに今度は外側は物理的に、内側はレシートやらでぐちゃぐちゃでとにかく汚い財布を見られているであろうということやらが頭をめぐり、受け取りの際には出来うる限り最もスマートな表情と声でお礼を言い、受け取った。
自転車での帰り道は小雨がほんの少し降っていてきつくなるなよ、と祈りながら夜風に吹かれて赤信号を避けながらいつもと違う道を通るも暗くて見えにくかった歩道の段差でバウンド、危うく購入した食器がカゴから投げ出されて粉々になるところだった。
何もかもがギリギリでうまくいった、一歩まちがったら全てが崩壊する危うい1日であった。こんな日はおとなしく家で英気を養うに限る。明日は音楽にたっぷり時間を使いたい。
今まで使っていたカップと新しいカップ。
おやすみなさい。
2019年1月16日水曜日
あけましておめでとうございます。
と言うにはいささか時間が経ちすぎているかもしれませんが、
インターネットの調子が悪く、ブログの更新ができていなかったのでした。
気がつけは2ヶ月ほど放置していました。
また気が向いたらひょっこりと更新するかと思います。
独り言みたいなブログですが告知もしていきますのでよろしければたまにのぞいてください。
良い1年になりますように。
インターネットの調子が悪く、ブログの更新ができていなかったのでした。
気がつけは2ヶ月ほど放置していました。
また気が向いたらひょっこりと更新するかと思います。
独り言みたいなブログですが告知もしていきますのでよろしければたまにのぞいてください。
良い1年になりますように。
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