2019年9月11日水曜日

ライブから帰ってきたところ。

どうも、おかしい。

体が、頭がおかしい。


元気だ。

健康、というよりかは、よく動く。冴えてる。
(もちろん本来のポテンシャルの範囲内で)
落ち込んでいるはずなのに。



もう「暇」なんてことを思うことは一生ないものと思ってた。

細胞が活性化しているというか、若返ってるというか
ちょっとした隙間の時間が生まれると「ちょっと暇」と思ってる。



歳をとると時間の過ぎるのが早く感じるのは、新しいことをしなくなるからだとか、感動することが少なくなるからだとか言われるけど、ちょっと違うんじゃないかな、と思う。


時間が伸び縮みする。相対性理論的な話ではないけど(突き詰めたら同じようなことだったりするかもしれないけれど)時間という物差しの中に、いかに自分を小刻みに詰め込めるかということなのではないかな。若いときは細胞の新陳代謝が活発だし、反射神経や脳の回転も速い。つまり、思うこと、動くこと一つ一つの速度が早く、1時間に詰め込める「思う」や「する」の粒が小刻みであるがゆえに結果多くのことを経験して、1時間は「たくさん」だ、という感覚になるのに対して、歳をとるとあらゆる動きが鈍くなるので1時間に詰め込めるタスクが少なくなる。しかし自分では衰えていると思っていないので、1つの作業、思考が以前と同じボリュームだと信じていて、そちらが物差しだと考えてしまうと、「たくさん詰め込める一時間」は果てしなく長い時間になる。



これはきっとチャンスだ。なんでもできる。空も飛べるかも。



ここ数日、このタイミングで急にコード理論に興味が湧いてきてYoutubeの中の先生にいろいろ教わっている。説明がうまい。なぜもっと早く出会わなかったのか!



今まで持っていなかった絵の具を手に入れて色見本を作っている気分。
理論はあくまで表現のための道具でそれに絡め取られたらダメだと思ってはいるけど、目の前に並んだ絵の具にニヤニヤしたり、そうか!スッキリ!という小さな感動がずっと続くといいな。

2019年9月7日土曜日

夏終わり

百日紅が色褪せてしまう。


鴨川沿いの風も夕方になるとひんやりしてきて、ここ数日夏の暑さが少々戻ってきたとはいえ、やはりもう空も虫の声も人の浮かれ具合の収束も全部季節が変わったことを知らせている。


この1週間でいろんなことが起こって今それも落ち着いてきて何もかもが元に戻っていく。気温の下降とともに自分の中のほとぼりもスーッと静かになっていく。ああ、自分だ。
ただ、以前と違うことに、体調はいい。落ち込みたくても悲しみたくてもそんな感傷に浸るな、動け、と体に言われている。ご飯が食べられなくても夜長時間眠れなくても体はいたって健康だ。それはとてもしあわなことだ。(...しあわせ?)
とにかくこれが大人になったということなんだろう。自分のなかで消化しきれていない子供を抱えながらもどこか大人になっている。

昨日元職場の後輩とその子供に会った。娘ちゃんは私と誕生日、血液型、星座(当然)、干支がすべて同じ。でも全然私と似ていなくてとても人懐こいカワイイ子だ。私に似ろと暗示をかけているというので全力で止めておいた。(悪いことは言わない。)もともと私は子供と接するのは苦手だったのにとてもかわいく感じた。自分自身の中にもまだ子供はいるというのに。

今月末には2年間続けたバイトも辞めて、以前していた仕事に近いことを数ヶ月くらい続けるつもり。なんだかそれも暗示的というか、しばらくの出来事がすべて幻だったかのようだ。次に私の上司になる女性は回遊魚のようで止まったら死んでしまうのではないかというくらい常にバタバタと動いていて、刺激がないとつまらない、と本人もそれを認めている。私はあんな風になれるだろうか。いや、なるつもりもなれるわけもないけれど、私より一回り歳上の彼女は海外に彼氏を残し、結婚したくないからと渡米するのを拒み続けて結局20年以上付き合ったその人と最近別れたという話をサバサバと話してくれる。こんな風に逞しくなれたら、と思うとともに、私はこの人と同じ年齢になった頃一体どんな生活を送っているんだろう、とも。

感傷に浸るなとはいってももう私を形作っている素地の部分には虚無感みたいなものが常に含まれているので今更絶望なんかはしないけれど、この間ある人に思わず寂しいという言葉を使ってしまって自分でも驚いた。その人は常に根底にあるのは虚無感で、寂しいというのは健康的だといわれた。そういえばずっと私は虚無感に苛まれていたのにこんなこといってしまうなんて、つまり何かが「ある」からなくなった時に「さみしい」と感じるわけで。いつからか気付いた自分のなかの二重人格性みたいなものでどちらも出たり入ったりする。

虚無感に包まれている時というのはなぜもこんなに物事を冷静に見つめる眼差しが生まれるんだろう。いろんなことがとてもクリアに見える。皮肉なものだ。

さみしい時は人を求めるし、誰もいなくなったらしくしく泣いて大人しく制作を始めるなんて素晴らしいことじゃないか。きっと創作しない人はずっと次が現れるまで寂しいままなんだろう。

私は自分が一回死んだと思っているので、なんだかんだといっても小さなことでもしあわせだ。これは本当に。もともと一人なんだって覚悟してしまえば世界は美しいな、と思えるし、一つ一つが大切に思えてくる。しかし今回は初めて人に頼ってみた。これは進歩だ。すごく良かった。こんな風に冷静でいられるのはちゃんと気持ちも弱音も口に出して自分で受け止めたし、いろいろ質問されて少しずつそれにこたえることによって整理できてきたから。ひとしきり甘えて迷惑かけたのでちゃんとお礼を言ってお返しするつもり。


どんな風にしても生きていけるよ。



大丈夫。もとにもどるだけだ、私も強くなってる。
こんな独りよがりな気持ちをブログに記録して何をカッコつけてるんだ、って後から笑い飛ばしたい。



ワンマンにむけて集中します

2019年9月3日火曜日

演者記録

去年と今年出会ったアーティスト

2018年6月高山 燦さん
2018年10月ネギ(杉本周太)さん
2018年11月ミヤザキナオコさん
2019年5月はるまつあるふゆさん

・いしぐろあやのさん
・瓶底いずこさん


去年から色々と心に響いたアーティストの方々、記録。
(自分が弾き語りだから歌うたい及びアコースティックユニット中心に。)

まずは再会編から。

つい先日、もう何年ぶりか、瓶底いずこさんを観に行った。
数年前から活動が下火になっていたのか、あまりお名前を聞くことがなかったのだが、ここ1、2年でまたちらほらと見かけるようになった。彼女との出会いは…7年前くらいかな、定かではないけれど、スローハンドで 対バンしたのが始めのように思う。彼女は初めて観たときからある意味完成されていて(もちろんいい意味で)見た目もいまとほとんど変わらない。あの人は歳をとるんだろうか。同い年で、私の作った歌の中でも「棺」というキーワードが出てくるおそらく最もダークな歌がよかった、って言ってくれたのと、保母さんとか向いてそう、みたいなことを言われたのをぼんやり覚えている。そのあとはこちらは観客として2〜3度見て、「しみの森」という曲がとても印象的だった。今回本編の最後に演奏されていてなんだか涙がでてきた。いつもそうなんだけど、心動かされて涙出るときは歌詞の意味とかではなくもっと野生的な感覚的な部分で泣けたりする。それは輪郭で縁取られた「言葉」ではなくて景色や温度や振動や、とにかく意味というフィルターを通さずにダイレクトに体に響いてくるパワーなんだろうな、と思う。だから「意味」で演奏するアーティストがたとえ優れていても私の読解スピードが追いついていないのでなかなか響かないんだろう。声だとか表現力だとか、間だとか、短い単語の羅列で出てくる景色だとか。そういうのがわたしには必要だ。スパゲティの曲は今回演らなかったな。
あの気の抜けたクールなキャラクターはアーティストとしてこの上ない強みだと思う。頭の良さみたいなものがにじみ出ていて、芸ひとつで渡り歩いている感じが最高にカッコよかった。今回の彼女の言葉で印象的だったのは、終演後話していた会話の中で、「わたしは自分以外の他人に本当に興味がない」と言っていたのがすごくうらやましくクールだった。

いしぐろあやのちゃん
7月のおわり、いしぐろあやのちゃんのツーマンライブを観に行った。
わたしなんかがいうのもなんだけど、 彼女は数年間の間に本当に見違えるようにすごく成長した。しかも初めに持っていた輝くものを一切壊さずに。
彼女のことはわたしはライブデビュー前から見ていて、彼女の初ライブもわたしが画策して共演したので成長していく過程をはじめからいままで見てきているんだけど、1〜2年くらい前か、いきなり急成長したときがあって、歳下の彼女だけど、私は演者としても人間としてもとっても尊敬してる。
自分にないものを求めるのは常だけど、まっすぐで、だけど嫌味がなくて、でもありふれた言葉でお茶を濁すことなく、瑞々しい気持ちを自分の言葉で、声で、演奏で伝えてくれる。表現力の向上も彼女の真面目でストイックな面を垣間見せてくれて、隙のないアーティストのかっこよさみたいなものに、ああ、この人が年上だったら確実に憧れて音楽を始めているな、と思わせてくれる。
彼女はもうあとは外に出て行くだけだな、と思う。今の音楽シーンにない歌の世界や少年のようなキラキラしたものを失わず、いつ売れても何も不思議でない状態の今の彼女に、詞というものの魅力を世の中に発信していってほしいな。

高山燦さん
彼を初めて見たとき思わずレコーダーを回した。私はどうもある周波数周辺の声を聞くと景色や色が浮かんでくるみたいで、脳天に響く音域だと景色が浮かぶとともに疲れや凝りがとれる。彼の声はその音域にツーンと響く。これまでにも月下美人のカナさんみたいにそういう声をもっている人を好きになってきた。(ギターの音は胸辺りに響く音が好きだ。心臓をぎゅーっと握りしめられてる感覚になる。)さて高山さんの声はふんわりと霧のかかったような優しくて息をたっぷり含んだ声で高音になると脳天を突くような鋭さも持つ。景色もぼんやりと夢の中のような白く濁ったフィルターをまとっていて、「夏の音」という曲がとてもすきだ。何かメッセージを歌うわけでもなく、友人のいる夏の風景を淡々と歌うその歌を聴くと、ちょうど去年の今頃よく聴いていたので吉田寮の空気感となぜか混ざってしまって思い起こされる。彼はバレーボーイズのギタリストだそうだけれど、動画を見たけど私はバンドよりソロの方がすきだな。そもそも彼はバンドでは歌っていないし。演奏に関しても間の取り方もたっぷりとしていて、ギターの音もすきだった。また聴きたい。

ネギ(杉本周太)さん
彼も高山さんと同じくバレーボーイズのメンバーでリーダー?だそう。曲を作っていると言ってたけど、やっぱり歌っていない。(というかみんなで合唱のように歌うので彼の声はわからない)。彼は高山さんとは全然ちがっていてもっと声の輪郭がはっきりとしていてブライト。やさしくもざらつきもあって張り上げたときなんてとてもパワフルだ。彼の曲で「霧のかかる街」という曲が大好きで、景色を描く水彩画のような高山さんの曲よりももっと「うた」で、景色もたくさん描いているけれど、韻や誰か対象への語りかけも多い。この曲は私の歩くスピードとピッタリで、歩くたびに口ずさんでしまう。「うた」としてすきなものってメロディーが回っている。日本語の歌詞がメロディーの回転の中で上昇するときに伸ばす音が入るようにできていたり、そうやって出来る言葉とメロディーのグルーヴがすき。無理なく心に染み込んでくる。きっとそれをしている人のほとんどは意識せずそれが気持ち良いからしているんだと思うけど、ソロの歌うたいとしてはそこを大事にしたい。そんなこと言っている私はこれを発見したのが最近なので過去の曲ではほぼできてない。ガラクタもいいって言ってくれる人たくさんいるけどすごく歌いにくいうた。ネギさんのうたは古いけど古くない、フォークだけどフォークじゃない、そんなうた。

ミヤザキナオコさん

初めての出会いは私の働くわからん屋にシャンソン企画で出られたとき。シャンソンってなかなか馴染みのない大人の世界、そして全国大会で優勝された方、という前情報で出会った。初対面の印象は、恐ろしく馬鹿丁寧な人、という感じだった。マルシアばりに全てに敬語で、ああ、シャンソンの世界はこういう感じなのか、と思った。年齢を聞いて私の2個上ということで驚いた。雰囲気的にもっと上に見えたから。同じ時代を生きてきた人なのにこうなるのか。やっぱシャンソンだから…と勝手に失礼な憶測をしていた。そして演奏になって何重にも衝撃を受けた。まず会話しているときには想像もつかなかった太くて通る声。揺るぎない実力のある人だった。そしてそれ以上に驚いたのは1曲目のシャンソン大会で優勝した曲のあとのオリジナル曲。シャンソンとは全く違う世界。その目をみて、この人は一体どんな人生を歩んできたんだろう、と思う一種の覚悟や悟りを感じる表情だった。詞の世界はなんでか手塚治虫の作品を思い出した。シャンソンの世界ってやっぱり少し古めかしさや型を感じると思っていたけど、彼女のオリジナルのうたは毒毒しさもあり、若さもあり、今を歌った生の感じもありでとても刺激的だった。おわってからももう一度聴きたくて2日後のスローハンドでのライブも見に行った。普段は東京で活動されていてツアー中だったのでラッキーだった。家に帰ってからYouTubeで調べて聴いてみたら、いでたちも雰囲気も歳相応だったので、どうやらあの馬鹿丁寧さや雰囲気は彼女の処世術であり、シャンソン用のよそ行きの顔なのだとわかった。そして最近テクノをしているとMCで言われていて、はて、と思ったのだが、どうやらそのユニットの相方がネガポジで私も共演したことのある平井ミエさんだった。ジャポネというユニット。実はミヤザキさん、過去にネガポジにも出演されているらしい。終演後少しお話できたのだけど、どうやら若い時に一度メジャーデビューされていて、それはそれは理不尽やら恐ろしいストレスやらにもみくちゃにされて現在があるようだ。それを聞いて心底なるほど、と思った。あの目は。彼女の恐ろしいほどの謙虚さは荒波の中でひどい扱いを受けてきたあとの、現在支えてくれている周りの人への感謝そのものなんだと思った。あと面白かったのは、「私、元ギャルなんですよ」という情報。最近ご結婚されたようで心から祝福したい。幸せになってください。また聴きたいな。関西来られたらライブに行こう。音源より断然生がいい。

はるまつあるふゆさん

こちらは男女ユニット。最近初めて観た。なんというか、彼らはお若いのに私自身昔にタイムスリップしたようで、ちょうど私がネガポジに出始めたころ、10年ぐらい前の丸太町のネガポジを思い出した。最近の若いアーティストでは珍しい雰囲気。お二人とも歌われるし演奏もされるけれど、女性の声が好きだな。息遣いがマイクを通して伝わってきて、心の毒がすーーっと抜けていく。商業的な感じや過去の音楽の引用などを意識せずに聞かせてくれる素敵なユニット。彼らもネガポジにで始めたのでまた聴きに行く。


そんなかんじです。




わかったことは、私の好きな女性アーティストはサムライみたいな人が多い、ということ。

私もそうなれるように頑張ろう。

12月10日にネガポジでワンマンをさせていただけることになりました。

そこに照準を合わせてがんばります。