2018年10月19日金曜日

夢の中の味のはなし

気温が下がり、長袖Tシャツ一枚で過ごせる季節。
一年で一番過ごしやすい。
今年はこんな日が比較的続いてる感じがしてうれしい限り。

問題は気持ちよすぎてすぐ寝てしまうところ。今もあーねむ...

わたしは寝るのが大好きだ。子供の頃から疲れやすくてすぐに昼寝をしていた。
夜寝るのよりもまだ明るいうちに寝床じゃないところでまどろんでそのまま寝てしまう。
こんな幸せあるだろうか。

不眠だった頃はいくら横になってもぐっすり眠ることができなくて寝るのが気持ちいいと思えなかった。
だから今、何の濁りもなき眠気に襲われた時、横になってまどろむことのなんと幸せなことか。
特に何かに埋もれて寝るのが至福。昔は積み上がった座布団を上から抱きしめてねるのが最高だった。
今はたたむ前の洗濯物に埋もれてねるのが幸せだ。

よく夢を見る。
すっかり忘れていることがほとんどだが、説明が難しい夢ばかり見る。
潜水艦で移動するのが普通だったり
いきなり絶壁にいたり
登りすぎたら天井との間に押しつぶされる円形の大きなエレベーターに乗ってたり

そして決まってでてくる駅がある。そこへつながる路線沿線はどんどん拡張している、昨日も出てきた。現実にはそんな駅見たことないのだけども。

ところで前にMCでも話したことがあるのだけど夢に出てきたせいで食べられなくなったものがある。
水色の焼き菓子系スゥィーツだ。
具体的にいうとたまにコンビニやスーパーで販売しているヨーグルト蒸しパンやらミント系のもの。
まだその存在が現実であまり出回っていないとき、それらしきものが夢の中で出てきたのだが、その味と匂いが手形を撮るときに石膏を流し込むための型取りとリンクしてしまった。
ミントと粘土が混ざったような匂いで、(もちろん現実に食べたことはないのだが)夢の中ではそこにヨーグルト味が混ざったような味。オエっとなりながら食べていた。


ちなみに「型取り」というのはこれ。









トラウマが夢に出てくるならまだしも、夢がトラウマをつくるなんて。


ほかには見た目に恐怖を感じるようになってしまったものがある。
ウマヅラハギ。
(食べたらすこぶる美味しいのだそう。)


もともと潜在的に怖かったのかもしれないが夢以降怖くてたまらない。


これ。










あー...こわ...

2018年10月7日日曜日

むにゅちゃん

そろそろ実家の元自分の部屋を片付けようと思う。
ずっと責められ続けてる。まだ実行には至っていないが帰るたびにゴソゴソパンドラの箱を開けながら様子を伺っている。

高校生の頃くらいを境に写真を整理しなくなったので、ポロポロと撮った覚えのないものなどが出てきた。

あまりの自分の不細工さにあはは、これは大変だと苦笑いしながら一通り眺めた。早く捨てよう。
色々こだわっているものを手放していく時期なんだきっと。物が捨てられない人を卒業するんだ。


それにしても私は愛着の湧いたものを使い続けるタチらしい。
今の自転車は今年で20年乗り続けているし、
服だって中には高校生くらいから着ているものもあるくらい。
あるカバンも10年は使ってる。
新しいものは気に入らなければ無くす、壊す、存在を忘れる。

その中から勝ち抜きレースに勝利したものだけが年季を帯びた私のものに育っていく。

否、育てるつもりなど毛頭なく、
使い心地が良いものになんとなく手が伸びるだけなんだ。きっと物にまで甘えている。


まあそれは一般的でないにしても誰にでも小さい時に好きだったものを思い出して胸がぎゅっとなることはあると思う。


私は幼い頃ぬいぐるみが大好きだった。
ごりら、うさぎ、さる、ぱんだ
中にはアニメのキャラクターものもあったが、それらは割と大きくなって自分の意思で欲しいと言ったものたちで、物心つかない頃から家にあったものは、それとともに育った、家族のような存在だった。


中でもとりわけ愛着の強かったものがある。
むにゅちゃん
と名付けた、今となっては何がモチーフになっているのか全くわからないぬいぐるみ、
ソフトボールくらいの大きさで、薄黄緑色でパイル地の、いわばビーズクッション的な手触りの良さで、むにゅっとしているからむにゅちゃんと呼んでいた。カバだったのかなぁ。
とにかく気の抜けた見た目で、寝るときも一緒だったしわりといつも持ち歩いていた。


ある日、小学校低学年くらいか、
家に帰ると2.3体のぬいぐるみを残し全てがごそっと姿を消していた。

母親に
ぬいぐるみは?と聞いた。


「汚いから捨てた」


消えたぬいぐるみの中にはむにゅちゃんもいたらしかった。
姿はどこにも見当たらなかった。


私はものすごくショックを受けていた。
泣き叫び喚くくらいに。ところがなぜかそのとき何も言わなかった。
子供心ながらに

ショックじゃないふりをしなくてはならない

と。


決して聞き分けのいい子供ではなかったし、穏やかな兄に対して内弁慶でわがままばっかり言ってた気がする。なのにその時は

うん

と静かに引き下がった。




大人にならないと。ぬいぐるみ卒業しなきゃ。
きっとそのとき私はぬいぐるみに甘えてる自分に気づいてしまったのだ。



執着心という甘えは今でもあまり変わっていないないかもしれない。愛着は長い時間かけてジワジワあたたまっていく。
しかし人間関係の場合は自分の手の中で暖め続けられないから大変だ。
ふっと手の届く範囲からいなくなってしまったりするから。

物にも人にも執着せずに軽やかに穏やかに生きたい。歳をとるごとに執着するものか増えてくとがんじがらめになってしまうもの。
あーあ、切ないことばかりだな。



写真は33年前のアテクシ。

原本の時点でピンボケである。









「全部体につけて」

とぬいぐるみと紐を母親に渡しお願いした時のことを今でも鮮明に覚えている


写ってないが背中にはむにゅちゃんもいるんだ。