ライブを観に行っていて、お酒の後のいつものプリンを食べながら書いてます。
いつも同じコンビニの同じラインナップのプリンを食べるのだけれど、画一性を求めたようなコンビニというシステムの中の同じ商品名がついているものでもその日によって多少硬さが違ったり、生もの感があるなって思いながら食べてる。いつかこれも完全に均一な品質の作り物ができる時代が来るような気がして味気ないな、って思う。まあ、ある意味現代ではプッチンプリンが近いものなのかもしれないけれど。接客についても、私の家の最寄りのコンビニの店員さんは非常に人間味があって個性的でとても気に入っているんだけれど、先ほどこのプリンを買ってきたコンビニでは店員さんがいるものの支払いは自動化されていて、そういえば最近このタイプ増えてきたな、完全に自動化になる時代がすぐそこにきている気がしてこちらも味気ないなという感じ。
職人仕事の揺らぎについて考えることがよくあるんだけど。職人が技を極めて例えば全く同じものが作れるように、完全に美しい線が引けるように、全くブレがないように、というのを目指していると、それでは完璧にしたいなら機械の方が正確ではないか、となる。でも答えはそうではなくて、完璧を目指しているけれどもどうしても生じるギリギリの揺らぎ、こそが美しさであると思っていて、それは「手作り感」を必要以上に打ち出した未完成なものとは絶対違っていて、やはりそこはギリギリじゃないと意味がなくて。
にわかに新しいフェーズに入ってきた感が非常にあります。ようやく脳みそが絵を描く人のそれに変形してきた感があり、最近はとても夜更かしをしていて、夜中に割と集中できていたりします。それでも集中力を持続させるのは難しいけれど、今日急に「あ、ずっと描き続けていられる」という感覚になり、家にいるときコタツからほぼ動かないんだけど、「このままコタツで一日中描き続けていられるな」という感覚を掴みました。まあ、気圧や体調ですぐに変わるかもしれないけれど、確実に違うステージにいる気はします。しかし万能感というのは非常に厄介なもので、調子に乗るとすぐに足元すくわれる、粛々と静かにことを進めていくしかないのだな。
葉、枝付きのかぼすのスケッチを描いていたのだけれど、描き終わった頃にはハリのあったかぼすの実が少しふにゃとなっていて、ああ、しょうがないな。時間が経ったし、と思ったけれど、葉っぱは相変わらず元気なので、実と枝を離してたくさん葉っぱのついた枝だけ花瓶に生けていたんだけど、今日帰ってきたら葉っぱに元気が無くなっていた。葉っぱが実に栄養を送っているものだとばかり思っていたのだけれど、葉っぱが実から栄養を吸い取るっていうことはあるんだろうか。
とにかく寒くてたまらないのでエアコンをかけてコタツに潜り込んでる。そろそろ寝る準備かな。
0 件のコメント:
コメントを投稿