2020年3月22日日曜日

ワンダーウォール先行上映会@出町座

前ブログの続き。

買ってきた豚肉を丼にして美味しくいただき、昨日始めた作業がすべて終わった頃には、上映会に行く準備をするのにちょうどいい時間になっていた。

朝とは違う服に着替えて再び自転車で出町座に向かった。
鴨川の対岸の駐輪場に自転車を置き、朝とは違う鴨川の景色を横目に橋を渡り、相変わらず大行列の豆大福のふたばを通りすぎて舛形商店街の中に入ると朝より混み合った出町座が目に入った。

ワンダーウォールを観にきた人たちだろうか。入り口付近に本の並んだ、カフェ併設の店内は賑わっていた。10分ほどで呼び込まれるままに地下の会場に向かった。
地下にある会場は4列ほどしかない本当に本当に小さなシアターで、時間とともに設けられた補助席も埋まっていって満員になった。


再放送以来だから1年以上経っていると思うのだけど、テレビ画面観た2回と、スクリーンとではまた違った良さがある。私はこのドラマの冒頭シーンが大好きで、そこから物語の中にスッと入っていくことができる。最後まで入り込めない映画の場合大体このあたりで現実世界に引き戻されるようなほころびを感じてしまうのだけど、主人公のキューピーがバイト帰りにバスで寮まで戻るシーン、多くの視聴者が共有している日常から、寮の入り口に差し掛かり、夜の中に寮の玄関の光を眺めるところでぐっと奥の世界に気持ちが移動していく。景色、ナレーション、キャストの表情、音楽、すべてが一体化していて画面の向こうにある一つの世界が確実にあるというイリュージョンを生み出す。すべてのスタッフに共通して目指すべき核の中心が見えていて、自分の役割を全うしているから観ている側にもそれが見えてくるのだろう。
映画の中身自体は、渡辺あやさんがおそらく取材の中で知ったであろう事実や物語がわりと説明的に進んでいく場面も多いのだけど所々のポイントとなるシーンや先ほども書いた冒頭、また、エンディングで寮が象徴として描かれている景色、そのユートピア感が私の心をぐっとつかむ。終わりにはドラマではなかった社会人を交えた演奏シーンとともに役者さんを紹介する映像が追加されていた。

1時間ほどの短い映画なんだけどテーマのこそばゆいところをトリミングして取り出し、あらゆる層に親切に差し出しているような、それを各々が持ち帰って思い出すような楔が確実に打ち込まれていて、しかもそれがあざとくなく、押し付けられている感じがしないところが彼女の絶妙なバランス感覚なのだと思う。彼女の作る物語はわたしの見た作品の中ではどれもそういう工夫がされている。キャストのそれぞれに様々な考えがあり、立場やそれぞれの信念や正義、そういうものを戦わせて視聴者に答えを委ねる。独りよがりにならずに、しかも思いは明確に伝わっていると思う。

映画終了後には今回の私のメインの目的である渡辺あやさんのインタビューを、ライターの小柳帝さんが進行される形で始まった。
本当に私は彼女の考えに深く響くものがあって、なんというか、難しい話は私は理解できないのだけれど、彼女の言っていることは頷くことが多くて、一番には、自分の停滞する創作活動におけるおっくうさや立ち止まってしまう迷いを一旦整理して取り払ってくれるような心強さを感じる。若いときはそういうこと、そういう憧れ、影響をうける先人というのが定期的に現れたのだけれど、近頃は少なくなってしまって、心が共鳴してざわざわする感じというのがとても心地よい。
後でかみしめたい言葉がたくさん出てきたので途中からメモを取り出し、ポストカードサイズのクロッキー帳に8枚くらい殴り書いた。

さすがに全て書き出すのは野暮だと思うので控えるけれど、1点、今年中に新しい作品を観ることできるという朗報を知ることができたのでよかった。しかもその話は、ワンダーウォールで言う所の組織側、壁の反対側の話だというからさらに興味深い。一方から観ていたら自分を正義にしてしまうけれど、私はそういうのが好きではない。正反対のものをぶつけた上でできたものすごく狭い逃げ道から見えた先の希望のような細い光にこそヒントがあると思っているから。


このところのSNSの広がりの中でどうもしっくりとこないざわざわしたものが体から抜けずにいる。最近のドラマや映画に関心がないのも自分が歳をとってはやりから遅れをとっているだけなのかと思うこともあったけれど、どうもそれだけではなさそうに思う。
この作品を若い人がみたらどんな風に思うんだろう。

私は寮の住人でもなければそこに直接的に関わっている人間でもない。個人的な感情を押し付けるつもりなんて全然ないし、コミュニティに属するのは苦手なので中心的に関わっていくことは今後もないだろう。でもやはり渡辺あやさんが今回の企画をNHK京都放送局のスタッフから持ってこられたときに強く惹きつけられたテーマに自分も何か惹かれるものがあるのだと思う。今回のインタビューを聞いたときに、もともと政治的なものに興味がなかったということだったが、似たようなタイミング、きっかけで違和感を感じるようになってきたという部分にも共通するものを感じ、彼女の考えにアンテナを伸ばしているうちに、他者からの考えの受け売りではない自分の考えを整理できるのではないかと期待しているのだと思う。


あと今回あらためて、自分が創作するときには自分の作り上げた世界の外へ出てくる必要はないなと感じた。少なくとも人の目を気にしながら制作すると、優秀な作品はできてもその先の肝心なところが描けなくなってしまう。キャッチーでできるだけ多くの人にそれなりに支持されることが必要かもしれない世界があるというのは一旦置いておいて、まずは没頭して、自分がある程度形を作って整理してからでないと人の意見を聞く意味はないなと。


今回のように、誰かを目指すのでなくても、自分の動機を動かしてくれる存在は非常に貴重だ。自分の中の違和感を流したり否定したりせず受け止める、熱くも冷めてもいなく、ありのままの温度で引っ張り出して見つめて形にしたい。目の前のものだけではなくてその先のものを覗き込んでみたい。
喜怒哀楽のどれにも切り分けられない強い感情を思い起こさせてくれる、そういう感情の存在を許してくれる、そんな場所が彼女の周辺には存在しているんではないか、そんな風に思った1日だった。




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