土曜日は一乗寺のウッドノートで毎年恒例弥生ノ二頁でした。
昨今の殺伐とした空気が嘘のように、和やかで温かい空間になりました。
普通にライブができるということをかみしめた貴重な夜になったとおもいます。
実は今回は長野さんが腸炎で救急車で運ばれたり、私は自律神経がおかしくなってしまって寝込んだり試練があって、予定通りの開催がもう無理かもしれない、しかも世間のこの騒ぎ、お店がイベントをしないと判断することもあるかもしれない、という中の開催でした。
今回は展示もするということになっていたので、布団から時々起き上がって、少しでも何か作りたいな、とほそぼそとのろのろと準備を進めていた。
私と長野さんの不調だった時期が微妙にずれていたため、いつもは長野さんの家に押しかけて練習したり準備していたのにそれもできず、各々が練習して当日確認だけ行うということになった。
結果的にはうまくいって、これまでより少し軽やかな気持ちでライブができた実感があり、お互いにいいライブだったね、と称え合ったのだった。2人のジョイントが好評だったので来年はもう少し増やしてもいいかな。私の声も長野さんの声もテノール風味なので相性がいいのかもしれない。
遠いところからは長崎や富山から、近くても大阪や滋賀、京田辺など、わざわざ足を運んでいただいてありがたかった。私のライブに来てくれるお客さん、長野さんのお客さん、ミュージシャン仲間、ここでしか出会わないお客さまの迎合が非常にレアで毎年独特のほんわりとした空気に包まれる。
月並みではあるかもしれないけれどきちんとライブを続けていく、何か表現を続けていくということの意味を再確認した夜だった。
はっきりと言葉ではどう意味があるのか、どのように重要なのか表せなくても、直感的にそう思った、そんな感じ。こういう気持ちを大切にしていきたいな。
頭で考えると私はいつもろくな判断をしないのだから。
マスターにドロレスケーンに少し声が似ている、言われたので聴いている。いつもお店ではアイリッシュがかかっているけどシンガーソングライターなんだな。
こんな色っぽさでるかなあ。
いつかアイリッシュの人の演奏に包まれて歌えるようになったら楽しいかな、と思う。
先日の浅川マキさんを歌った以来、楽器を持たずに歌に専念するというのに味をしめてしまって。歌うのは楽しい。
久々にカラオケにでもいってみようかな。
終わってからはくたくたでまだ体は本調子ではなかったけれど、打ち上げに焼き鳥屋さんに入った。はじめてのところだったけれどとてもやすくておいしくて幸せをかみしめた。
家にかえったらバタンキューで、これからしなければならないことなどをおもいながらも一つ山を越えたような気分で身を投げ出してぐっすり眠ったのである。
これからはじまる2020年度はこれまで溜め込んだものを放出する年になるだろう。
そんな予感がする。




0 件のコメント:
コメントを投稿