2020年1月6日月曜日

冬が来た

大晦日あたりから急に冷え込み、それまでが例年に比べて特に暖かかったこともあり、ぶるぶる震えている。此処何年もずっと、マフラーというものをしなかったのだけど、今日とうとう買ってしまった。ものすごく暖かくてなぜもっと早くしなかったのだろう。

此処数日の世界情勢のきな臭さに自分の気持ちが大きく揺さぶられている。
2020年早々、アメリカがイランにかけた攻撃が恐れていたことへの決定的な歩みになったように感じて不安でたまらない。
この年末は体調を崩してテレビ(特番「報道の日」など)を見ながら部屋で一人寝込む時間が長かった。2019年から2020年をまたいだ瞬間にまるで別世界に放り出されたような沈んだ気持ちになっていた。
本当に恐ろしいことを想像したりしてとてもいたたまれなくてテレビのチャンネルを変えるのだけれども、どこの放送局もバラエティばかりで、ニュースでもこのことを1番には報じず、報じても年末の帰省ラッシュのニュースと同じくらいの尺しかなくて欲しい情報が入ってこない。


年末、約7年ぶりにテレビのある生活になったのでひとりでM1を見ていたらNHKの人が受信料の徴収にきた。「なんで今!」と思いつつも、この人も寒い中家を回っているのだな、と思ったのでその場で面倒な手続きを一通り済ませ、ちょうどからし蓮根の出演シーンを丸々見のがした。後日その話をしたらその場にいた人たちから受信料を払ったこと自体におどろかれてしまった。だけど私は公共放送は企業の利害に左右されない唯一の公正な放送局ということで重要だと思っているので、受信料を支払うこと自体への抵抗はない。
それよりも今回のような大事な時に殆どそれを報道していない現状に対しては本当に疑問に思う。

私が幼い頃はこんなだっただろうか。NHKはニュースばかりでつまらない と思っていた。今はむしろそうであって欲しい。民法がバラエティを放送すればいい。私は平和に笑ってテレビを見られるというのはとても素晴らしいと思うし、この文化は日本のいいところでもあると思うからまったく意見はない。緊張感ばかりで殺伐とすることはことをいい方に向かわせるようには思えない。しかしこんな重要なことが起きている時になぜ情報が殆ど入ってこないのか、特番を組んで報道するくらいのことだ。別に凝った体裁にする必要もなく、現地の映像と簡潔な情報のみを淡々とながすだけでも構わない。NHKだけはずっとニュースを流して欲しい。見たいときにニュースを常に見られるチャンネルが一つあって欲しい。


そんなことで最悪のことを想像してしまう。一人暮らしは部屋にじっとしていると気持ちの沈みとともに思考停止状態になる。


昨日はわからん屋のマスターの誕生日、本当に平和なライブだった。しかしこのニュースのおかげで気持ちのどこかは常に沈んでいる。同時に日常の一つ一つがとても大切に思えて、いつも見慣れている女性と握手したときに手のしわの1本1本まで愛おしく、電車の中での見知らぬ人々を見ていても「ああ、この人たちはこれからどこかに帰って行ってそれぞれの大切な人がいるんだなあ」とか考えてしまう。誰かに会わないと。そう思ってライヴの終了後、割と遅かったけどネガポジに向かった。


店に着いたらちょうど人がはけたところで、ゴローさんとシュウくんと樋口くんがいた。ゴローさんとは年始の挨拶をして、すぐに帰って行った。「終わりだったらもういいよ」と言ったけれど二人とも付き合ってくれた。


いつも通り本当にくだらない話を数時間した。
心がすうっと晴れたし頭もクリアになった。
人に会い続けないといけない。なんだかわからないけど直感的にそう思う。沈んでいる場合ではなくて、これまでの日常をつづけながら自分にできるとても小さなことを続ける、それしかできないのだから。平和を続ける、それだけでも意味があるんだと思いながら進んでいくしかない。


これからもいろんな人に会うたびに泣きそうになってしまうかもしれない。
私はこんな風にギリギリまでこれまでと同じように人に会い続けたい。
こんなささやかな日常に「平和」と名前をつけなくていいように。

0 件のコメント:

コメントを投稿